今日のブログでは運について考えてみたいと思います。
僕は自分を運のいい人間だと思っています。
子供の頃は、魔女の宅急便の主題歌の歌詞にあったように、まさに「小さいころは神様がいて、不思議に夢を叶えてくれた」ような感覚がありました。
それが年を取るにつれ、次第にこの感覚も薄れていき、ついには人生で一番のどん底に落ちるまでになってしまいました。
今考えればどん底に落ちたことは、新しい人生が始まるきっかけになったので、むしろラッキーだったと思っていますが、当時は最悪な気分でした。
自分の人生に不満を言わない
運を下げてしまう一番の原因は「自分の人生に不満を言うこと」だと思います。
僕の場合、人生そのものに不満を言っていたわけではありませんが、自分のいる環境に関して不満を言っていました。
会社での自分の待遇に不満があったわけではなく、そこで働く人間との意識の違いに辟易してしまい、そのことで消耗した結果、愚痴や不満が多くなってしまいました。
世の中には理不尽なことが多く、人間はみな平等ではありません。
周りの人間がうまくいっていて、自分がうまくいかないとき、人生に対して不満をいいたくなることがあると思います。
人生とはある意味映画のようなもので、僕たちは主役であり、監督であり、脚本家のような存在です。
何もトラブルが起こらない映画は退屈ですよね。
一見すると不満に感じるような出来事も、その後飛躍するためのプロセスだと理解することができれば、人生に対して不満に感じることも少なくなります。
トラブルが全然起こらない代わりに平坦で退屈な人生か、浮き沈みは激しいけどスリルがあってエキサイティングな人生のどちらがいいかを考えてみてください。
不満に感じる環境も実は自ら選択している
まずは被害者意識を捨て、自分が人生の創造者であることを自覚することです。
会社もパートナーも住んでいる場所も人間関係も、自分で選択した結果、そういう不満を持つようになってしまったわけです。
であればそれらの環境を手放すという選択もできたはずです。それでもそこに留まるということであれば、それは自らの決断によって不満な環境を選択しているということです。
自分でその選択をしているのだから、文句を言うのはおかしいですよね。
人生に不満ばかり言っていると運に見放されてしまう。
神様を信じることができないという人は、「宇宙」とか「潜在意識」という言葉に置き換えて考えてみてください(信じれなくても自分の都合のいいように解釈をしたほうが得ですよ)。
神様(宇宙)はあなたを成長させるために、試練を与えます。
そんなときに「なんで自分ばかりこんな不運なんだ」と腐っていると、運に見放されてしまいます。
人生に浮き沈みがあるのは、人生という映画をよりドラマティックにするためです。
神様の立場に立って考えてみてください。
よかれと思って試練を与えたのに不満ばかりで腐っていたら、その後に準備している成功も与えようとは思えないですよね。
あなたが映画監督だとして、俳優が自分の与えられた役にケチばかりつけていたら、次からいい仕事があってもオファーしようと思わないですよね。
逆にどんなにショボくて、ひどい扱いをうけるような役であったとしても、一生懸命その役を全うしてくれる俳優には、次からいい仕事をオファーしようと思いますよね。
「そんなのは綺麗ごとだ」と思う人は考えてみてください。
不満ばかりで愚痴っぽい人間が取引先だったら、その人から物を買いたいと思いますか?
恵まれない環境にいても、前向きで一生懸命な人のほうが信頼できますよね。
ビジネスは信頼があって初めて成立します。
だから信頼してもらえないということは、チャンス(運)を逃してしまっているのと一緒です。
友達が愚痴っぽかったら一緒にいたくないですよね。
あなたの前で誰かの悪口を言うような人だったら、あなたの悪口も言っているかもしれません。
成功者になればなるほど、愚痴や不満の多い人間と距離を置きます。
つまり不満ばかり言っている人間は、成功者と出会う機会(運・チャンス)を自ら失っていると言えるわけです。
恵まれない環境にいるときは
運命と宿命の話は昨日のブログで書きました。宿命は先天的なもので変えることができません。
あなたの宿命は他の人に比べて、恵まれていないかもしれません。
でも恵まれていない宿命を与えられた人は「神様がハンディキャップを与えた人間」なんです。
普通に勝負したらボロ勝ちしてしまうから、ハンディをもらった凄い人物なんです。
恵まれていないのは、あなたが凄い人間だからです。あなたは選ばれし者です。
松下幸之助について昨日のブログで触れましたが、彼はあれだけ多くのハンディをもらったにも関わらず大成功しました。
ハンディキャップをもらったとき、その期待に応えられるかどうかは本人次第です。
松下幸之助のようにそれでも成功するか、腐って不遇な人生を送るかは本人の決断次第です。
与えられた環境に不満を言わず淡々と与えられた役割を全うしていれば、神様はその後に準備していた成功を必ず与えてくれます。
今日は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。