人間が感じる恐怖には様々なものがあります。代表的なものだと「お金がなくなる」恐怖があります。
しかし、実は最も多くの人が抱えている恐怖は「他人から批判されること」であり、これが大きなブレーキとなって、行動を制限してしまうことがよくあります。
行動できなくても自分を責めない
何か行動を起こそうと思った時、「他人に批判されるのではないか」という恐怖が出てくることは誰しも経験したことがあると思います。
実際に批判された経験のある人などは、それがトラウマとなって1歩が踏み出せなくなってしまったかもしれません。
僕も自覚していませんでしたが、思い返してみると、今までの人生を通して「他人に非難される恐怖」から行動できなかったことがたくさんあったように思います。
もし批判される恐怖から行動できなかったとしても、自分を責めないでください。自分が攻撃されないようにするということは、自分を大切にしているということです。
そんな自分を愛し、それでもいいと受け入れてあげてください。
アンチは2種類いる
ブログやYoutubeなどで発信をしていると、どうしても一定数の反対意見が出てきてしまうものです。今時の言葉でいうならば「アンチ」ですね。
でもそれは発信者として避けられない宿命です。有名人になれば、それだけ攻撃される確率もあがります。でもそれが怖いといっていたら、発信者にはなれませんよね。
アンチには2種類います。
①単純に自分と反対意見を述べてくる人と②嫉妬から個人攻撃をしてくる人です。
どちらのパターンであっても自分が批判された気持ちになるので、落ち込んでしまったり、恐怖に感じてしまうことがあるかもしれません。
それぞれのパターンについての対処法というか、考え方をシェアしたいと思います。
①反対意見を述べてくる人
自分が主張したことに関して反対意見を出されると落ち込みますよね。日本人は否定されることへの免疫がないから、会議等でも自己主張をすることが少ないのではないかと思っています。
ただ反対意見を述べてきている人の見解が正しいこともあります。自分が間違ったことを発信してしまったが故に、その人が代わりに訂正してくれただけかもしれません。
ここで気を付けてほしいことがあります。その人はあなたと反対の意見を述べただけで、あなたの人格を否定しようとしているわけではありません。
同じお笑い芸人を見ても面白いという人もいればつまらないという人もいますよね。
ただ価値観が違うだけです。
よくネットの書き込みとかで炎上するのもこのパターンが多いです。お互いがそれぞれの正義を振りかざし、いかに自分が正しいかを主張するから喧嘩に発展してしまい、やがて相手の人格まで攻撃することになってしまいます。
でも人それぞれ価値観は違うのです。だから「そういう意見もある」ぐらいの感覚でいるほうがいいです。そして自分にはない価値観を知ることができたということは、ある意味財産にもなるわけです。
なぜこういう問題が起こるのか?
それはこのブログでも再三お話している「観念」が関わってきています。
人それぞれ生まれ育った環境が違うので、別々の価値観をもっているのは当たり前のことです。
「努力することは素晴らしいこと」と考える人もいれば、「努力するなんてダサい」と考える人もいます。
お互いに逆の意見を持っているのに、相手に自分の正義を強要するからもめ事に発展してしまうのです。
観念は多ければ多いほど苦しくなります。不要な観念はできるだけ手放し、物事を善悪ジャッジしないような習慣を身に着けることができるようになれば、反対意見に関しても客観的(中立的)な視点でとらえることができるようになります。
そして自分と違う価値観の人からは、何かしらの学びがあります。もし自分と反対意見を述べられたとしても、一度冷静になり相手の主張を客観的に吟味してみましょう。
そして相手の主張が正しい、正しくないに関わらず「ご意見ありがとうございます」とスマートに返信することができれば、争いごとに発展することもありません。
②嫉妬から個人攻撃をしてくる人
このパターンの人に絡まれると精神的にもまいってしまいますよね。こういうパターンの人は①の人と違い、特に自己主張があるわけでもなく、ただあなたを攻撃したいだけの人です。
その心理にはいろいろな要因があると思います。
ただ一つ言えるのは「幸せな人」は嫉妬から個人攻撃をすることはありません。
つまりこのパターンの人はなんらかの不満を抱えていたり、ストレスを感じているということです。
そんな中で、恰好の攻撃対象であるあなたを見つけ、ストレスのはけ口にしているだけです。
嫉妬の根底にはどのような心理があると思いますか?
それは「自己否定」です。
あなたのようになりたいのになれない自分のことを否定しているのです。どんなに相手が自分よりうまくいっていても、自分の存在を肯定し、受け入れることができていれば、嫉妬を感じることはありません。
対処法ですが「相手にしない」のが一番です。
まともに相手をするとさらにエスカレートし、泥沼に入ってしまいます。
自分を愛することができていない人を救ってあげたい心理を感じるかもしれませんが、それは必ずしもあなたの役目ではありません。
その人にとって必要な時に気づく瞬間がやってきます。だから自分もその負のエネルギーを吸収しないように、距離をおくことが最善になります。
しつこく粘着されても相手にしてはいけません。「批判される恐怖」の記事でも書きましたが、あなたが相手の言い分を真に受けなければ、ダメージをうけることはありません。
泥棒をしたことがないあなたに、相手が「泥棒!」と言ってきても響きませんよね。それと同じようにどんなことを言われても、その言葉をスルーすることです。
嫉妬されるということはあなたが世に出た証でもあります。それってすごいことですよ。世の中から認知されなければ、嫉妬されることもありません。
そして相手も嫉妬している間はその人を越えることはできません。
最後にマザーテレサの有名な言葉をシェアします。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」
ということは無関心の反対は愛なわけです。
しつこく粘着してきているということは、あなたに関心がありまくるということですよね。
その人は自分の貴重な時間を使って、あなたのブログなりYoutubeを隅々まで見てくれているわけです。そんな熱烈なファンはなかなかいませんよね。
つまりどういうことか理解してもらえると思います。
①自分と反対の意見をくれる人にしろ、②嫉妬で自分を攻撃してくる人にしろ、あなたが成長するための養分をくれているのです。
排泄物を投げてくる相手に対して、やり返すこともできれば、その排泄物を養分にすることもできるんです。
自分の人生の貴重な時間をささげてまで栄養分を送ってくれる人材だと思えば、少しは感謝できるようになりませんか?
今日は以上です。
いつもブログを読んでくださってありがとうございます。