2019年ももうすぐ終わりですね。
今年はあなたにとってどんな年になったでしょうか?
僕は2017年あたりから毎年変化の激しい年になっています。
来年以降もまだまだこの状態は続きそうです。
決して楽ではありませんが、後から笑える日が来ると信じているので、
この変化に抗うことなく、今自分にできることに全力を尽くしたいと思っています。
人生について深く考えた1年
ブログで情報発信をするようになって、人生について考える機会が増えました。
- うまく行く人とうまく行かない人の違い
- 人生に働く普遍の法則
- お金の正体
- 自分の内面と外側の世界の関連性
- 幸福の定義
意識せずに生活していたら、見過ごしてしまうことばかりだったように思います。
発信の内容が独特すぎてあまり受け入れてもらえませんでしたが、
それでも話を聞いてもらえる人がいたことは僕の心の支えとなりました。
幸福を忘れた現代人
お恥ずかしい話ですが、うちの息子はスマホのゲームにはまっています。
(「ゲーム=悪」と決めつけるのは良くないですが)
まだ小さいのにおもちゃで遊ぶ機会は少なく、
もっぱらスマホのゲームをやりたがります。
もちろん、1日○○時間までといったように時間は制限していますが。
生まれたときからスマホのゲームがあるって、ある意味かわいそうだなと思います。
なぜならそれが当たり前になってしまうということは、
それ以上の喜びを得られないと幸せを感じることができなくなるからです。
おもちゃで遊ぶ機会が少ないのは、
おもちゃで遊ぶよりもゲームをするほうが楽しいからです。
ゲームが当たり前の子供にとって、おもちゃは「つまらない」のかもしれません。
現代人が人生に幸せを見出せなくなってしまったのも、
「当たり前」の基準が高くなってしまったからでしょう。
テクノロジーの進歩で失われたもの
テクノロジーの進歩は人々の生活に便利さをもたらした代わりに、
喜びを感じるセンサーを鈍らせてしまいました。
今時スマホの存在に感動する人はいないでしょう。
僕たちが子供の頃はスマホはおろか、インターネットすらありませんでした。
僕の世代はそういう状態から生まれ育ったので、
まだ「スマホの存在」の凄さが理解できます。
でも、生まれたときからスマホが当たり前にある今の子供にとって、
我々と同じように感じることは難しいでしょう。
僕たちだって当たり前のように車や電車に乗っていますが、
普通に考えたらそれだってありえないぐらい凄いことです。
でも、車や電車に乗れることに喜びはまったく感じません。
僕たちが生まれたころから当たり前にある存在だからです。
物質的豊かさがもたらす幸福は持続しない
満足にご飯が食べられなかった時代は、
お腹いっぱいご飯が食べられるだけで幸せを感じることができます。
でも、毎日おいしいものをたらふく食べることのできる今の時代は、
その喜びを感じることはほぼ不可能と言えるでしょう。
物質的豊かさは我々に幸福感を感じさせてくれますが、
その幸福感は一時的で持続しません。
人間は良くも悪くも慣れる生き物だからです。
高級寿司を始めて食べたら感動しますが、
毎日食べたらさすがに飽きます。
スマホも登場したばかりの頃は画期的で感動した人もいると思います。
でも、それがありふれた存在になった今では、スマホに感動する人はほぼいません。
いまどき「インターネットって簡単に情報が手に入るんだ。すごいだろ」なんて言う人はいませんよね。
僕たちは物質的豊かさにこそ幸せがあると錯覚して、
お金を手に入れることに必死になります。
確かにお金持ちになって豪邸に住み、好きな時に旅行に行って、高級な車に乗ったら、最初は喜びを感じるはずです。
しかし、その環境に慣れてきたら喜びはどんどん小さくなっていきます。
これはどんな人間であっても必ずそうなります。
結局のところ、幸せは僕たちの心の在り方次第であって、
物質的豊かさにその答えはないということです。
高級ブランドを持って喜びを感じる人は、
「高級ブランドは良いもの」という価値観(心の在り方)を持っているからです。
仮にそれに興味のない人が同じものを持っていたとしても、
そこに喜びを感じることはありません。
「物質的価値に絶対的な幸福はない」ことがわかりますよね?
幸せのために経済的豊かさを追い求めているのに、
そこに永続的な幸福はないんです。
衝撃の真実ですね。
心の在り方が求められる時代
今までの時代はまだまだ文明が十分に発達していませんでした。
だから、技術の革新のたびに喜びを感じることができたわけです。
その後、急速なテクノロジーの発達により急激に便利な世の中になりました。
もはや日々の生活に不便を感じることはほとんどなく、
満たされすぎているといっても過言ではありません。
今より少し便利になったぐらいでは、
喜びを感じることはできない状態です。
成熟しきった現代社会でもはや劇的な技術革新は望めません。
ということは、物質的価値に幸福感を追い求めている限り、
幸せを感じることは難しくなるということです。
どんなに物質的に満たされていても、
心が不足感を感じていれば幸せではありません。
人生を「つまらない」と思ってしまえば、
どこまでもつまらないものになってしまします。
何に喜びを感じるかは人それぞれ違います。
その答えを知っているのは自分の内面だけです。
物質的に満たされた現代の子供たちが幸せを感じるためには、
正しい心の在り方を身につけなければなりません。
「今は心の時代である」と言われるのはそのためではないかと考えています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。