政治家や公的機関の不祥事があったときなど、
「早急に対処していきたい」といった答弁をよく耳にします。
僕はそういう発言を聞くたびに思うことがあります。
「したい」じゃなくて「します」だろ、と。
「したい」ってことはしない可能性もあるわけです。
そして、大抵の場合やっていないことが多いです。
「したい」という言葉は非常に都合のいい言葉です。
「(やる)意志はある」ことを見せることができるし、
やらなかったとしても嘘にはならないからです。
やるつもりがなかったとしても、
「やりません」といったら角が立つので、
「やりたい」とだけ言っておけばとりあえず許されます。
この都合のいい言葉は個人の人生においても、
時に厄介な存在になることがあります。
「○○したい」には2種類ある
「○○したい」という言葉は2種類あります。
「食べたい」、「遊びたい」といった本当に「したい」と思っていること。
「起業したい」のような言っているだけで本当はやりたいと思っていないこと。
前者については説明不要だと思うので、
ここでは詳細については触れません。
後者は一見矛盾しているように思えるので、
少し掘り下げてお話ししてみます。
「起業したい」と言っているのにいつまでも起業準備が終わらない人は、
実は「起業したい」と思っていないのです。
本当にやりたいと思っていることは、
行動せずにはいられないからです。
本当にやりたいと思っているならば、
他人から止められたとしてもやるはずです。
いつまでも行動に移すことができないということは、
本当はやりたいと思っていないということです。
もしくは「やりたい」という気持ちが小さいのです。
行動する痛みと行動しない痛みを比較したときに、
行動する痛みのほうが大きいから行動できないということです。
行動しない痛みよりも「やりたい」という気持ちのほうが大きければ、
実際に行動することができるようになります。
「○○したい」が厄介な理由
この「○○したい」が厄介な理由は、
冒頭の政治家の答弁の事例によく似ています。
「○○したい」と言葉にすることで、
自分自身を納得させることができるからです。
「起業したい」と言葉にしておけば、
起業する意志があることを示すことができます。
要するに、「完全に諦めたわけではない」ということです。
人間誰しも「夢を諦める」という現実は受け入れたくないもの。
「やらない」ときっぱり言ってしまうとその現実を受け入れることになるので、
「やりたい」とお茶を濁しておくのが都合がいいのです。
「やるつもりはある。しかし、○○だから今はできない」
といったように様々な言い訳を持ち出して、
行動しない自分を正当化します。
「やるつもりはある」という意志を示している限り、
夢破れたことにはなりません。
痛みもなく、かといって夢を諦めたわけではなく、
一番都合のいい状態を作り出すことができるのです。
思っているだけではやらないのと一緒
どんなに「やりたい」と思っていたとしても、
実際に行動しないのであれば、それはやらないのと同じことです。
レストランに行って店員さんに、
「カレーライスが食べたい」と念を送ったとしても、
カレーライスが運ばれてくることはありません。
カレーライスが食べたいのであれば、
「言葉にして伝える」という行動を起こす必要があるわけです。
部屋から一歩も出ずにひきこもっている人が、
どんなに「億万長者になりたい」と念じたところで、
突然大金が舞い込んでくるなんてことはありません。
「やりたい」を「やります」という自己宣言に変える
人々が行動できない一番の理由は、
「行動しない」という選択肢があるからです。
「行動しない」という選択肢がなくなれば、
必然的に行動せざるをえなくなります。
「やりたい」を「やります」という自己宣言に変えることで、
選択が決断に変わります。
決断をする=退路を断つということです。
もちろん、実質的には行動しないこともできますが、
そうすると自分との約束を反故にしたことになります。
政治家も「やります」と断言してしまったら、
やらなかった時に責められてしまうので、
曖昧な表現で答弁をしているのだと思います。
ちょっとした言葉遣いの差ですが、
このちょっとの差が人生に大きな違いをもたらします。
まとめ
あなたには「したい」と思っているのに、
なかなか行動に移せないものはありますか?
もしあるならば、
今日から「したい」ではなく「します」に言葉を変えてください。
そして自分自身に宣言し約束をするのです。
決断をして「行動しない」という退路を断ってください。
扉の先には必ず新しい世界が待っています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。