僕も人間なので小さな誘惑に負けてしまったり、
上手くいかないときに落ち込んでしまったりすることがあります。
そんなときに大切なことは、
絶対に自分自身を責めないこと。
ただでさえ心が弱っているのに自分を否定したら、
その状態から立ち直ることは難しくなります。
自分のことを許せないということは、
ありのままの自分を受け入れることができていないということです。
それでは無条件の愛とは呼べません。
無条件の愛とは自分のダメな部分もひっくるめて愛すること。
条件付きの愛は本当の愛とは呼べません。
「こうあるべき」を自分に押し付けていないか?
自分のことを許すことができない人は、
「こうあるべき」を自分に押し付けている人です。
その「こうあるべき」という理想像も、
大抵の場合は他人によって作られたもの。
無意識のうちに他人から影響を受けて、
それがいつのまにか自分の価値観になってしまっています。
この世界に「こうあるべき」という正解はありません。
正解は人それぞれによって違うものだし、
置かれている状況によっても変わるものだからです。
「こうあるべき」=「あるべき姿」です。
あるべき姿というのはありのままの自分のことを指します。
勉強ができないといけない
スポーツ万能じゃないといけない
社交的でないといけない
僕たちは様々な「こうあるべき」を押し付けられ生きていますが、
別に「こうあるべき」でなかったとしても、
生きていくうえで何ら問題はないわけです。
「こうあるべき」ができると自己否定が生まれます。
「こうあるべき」になれなかった自分を責めてしまうのです。
できない自分を直視することは大切ですが、
だからといって自己否定をする必要はありません。
「○○であるべき」と考えると自己否定が生まれてしまうので、
「○○であったらいいな」と考えるようにしてみてください。
「勉強ができないといけない」だと勉強ができない自分を責めることになります。
「勉強ができたらいいな」であれば、
勉強ができない自分を責めることにはなりません。
単純に現状肯定をしてしまうと、
どんどん楽なほうに流されてしまいます。
「勉強できたらいいな」と考えることは、
「勉強ができない自分のままでいい」という現状肯定にはならないのです。
「許す」という行為は自分自身のため
「許す」という行為をしないことによって、
一番被害を被るのは自分自身です。
「許せない」と思っている限り、
いつまでもその事実に縛られ続けることになるからです。
「許せない」と考えるときは相手に対して憤りを感じているときです。
さっさと許してしまえば気持ちが楽になるのに、
「許せない」と考えることでマイナス感情で過ごす時間が増えてしまうのです。
自分がどんなに恨んでいたとしても、
相手からすればなんの痛みもありません。
損をするのは嫌な気分で過ごさないといけない自分自身です。
時には自分自身の過去の過ちを許せないこともあります。
しかしその状態にいるかぎり、
いつまでたっても過去の呪縛から逃れることはできません。
終わった事実は変えることができません。
後ろを向いて歩いていたら必ず何かにぶつかります。
前を向いて歩くためにも過去の失敗はさっさと水に流すのがよいです。
自分を許せる人は他人も許せる
他人を許すことができない理由は、
自分の価値観に基づいて相手を裁いているからです。
時間に厳しい人は時間にルーズな人を許せません。
それは「時間は守るべき」というルールが、
その人の中に存在するからです。
価値観というのはその人の行動指針となります。
「時間は守るべき」と考えている人は、
自分に対しても時間にルーズなことを許せない人です。
自分のことを許すことができれば、
相手に対しても許すことができるようになります。
日本は特に「○○すべき」という世間一般の通念が多いので、
他人に対する許容性が極めて低い国民性を持っています。
先ほどもお話したとおり、
許せない事で損をするのは自分自身です。
他人のことを考える暇があったら、
その時間を自分の人生を良くする方法を
考えるのに使ったほうが絶対にいいです。
まとめ
「こうあるべき」という姿は他人によって作り上げられた幻想です。
ありのままの自分でいることを許し、
できない自分も含めて受け入れてあげてください。
まるで自分の子供を愛するように。
自分に優しくなることができたら、
他人に対しても優しくなることができます。
「正しさ」を追い求めるあまり、
自分にも他人にも悪影響を及ぼすのであれば、
その「正しさ」はもはや害悪でしかありません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。