他人のことを認めることができないのは、
自分のことを認めることができていないから。
他人を否定ばかりしている人は、
自分のことを否定して認めることができないのでしょう。
自己犠牲は決して美徳なんかではなく、
自分を卑下することは謙虚でも何でもありません。
自分のことを大切にできない人は、
他人のことも大切にできないものです。
どうして他人を認めることができないのか?
それぞれの違いを「それいいね」で済ませばいいのに、
「あなたは間違っている」と言うから争いに発展するわけです。
過去の僕も他人のことを否定ばかりして、
認めることができませんでした。
それは自信のなさの裏返しで、
他人を落とすことで自分の存在意義を正当化しようとしていたのだと思います。
誰からも認めてもらえないと人間は自信を失います。
どんなに他人から否定されても、
自分だけは絶対に自分の味方でいなければなりません。
他人に何を言われようが「私は素晴らしい」と言い続けるのです。
自分で自分を認めることができる人は、
他人から認められたいと思うことはなくなります。
SNSが普及してフォロワーやいいねの数に固執する人が多いのは、
承認欲求が満たされていないからでしょう。
現実世界は不満だらけでも、
バーチャルの世界で自分の存在意義を感じることができる。
承認欲求が満たされていない人々にとって、
SNSは最高の居場所なのだと思います。
心に余裕がない人ほど他人を認めることができません。
自分の持っている狭い引き出しと小さな器でしか考えることができず、
その中にない(入らない)ものはすべて否定します。
これでは成長などできませんね。
他人の悪い所ばかり見ていても、
自分の気分を害するだけです。
良い所を見るようにすれば、
自分に活かせるヒントを見つけることが
できるかもしれません。
自分に許可できないことは、
他人に対しても許可することができません。
「遅刻してはならない」と思っている人は他人の遅刻を許せない。
といった感じです。
他人を裁きジャッジばかりしている人は、
自分も同じように裁いているのでしょう。
ある意味真面目で責任感が強いのだと思いますが、
肩に力が入りすぎていて柔軟性がありません。
他人は他人。自分は自分。
いい意味で他人に無関心になることが、
軽やかな人生を送る秘訣なのだと思います。
失敗しても人より劣っていても、
「あなたは素晴らしい」と自分を認めてあげてください。
人それぞれ置かれている状況は違いますが、
今まで頑張って生きてきただけでも賞賛に値すると思います。
長い人生、数々の苦悩や困難があったはずです。
それでもめげずに必死に生きてきたのだから、
それだけで十分素晴らしいと言えるのではないでしょうか。
他人という物差しを基準に考えるから、
自分のことを認めることができないのだと思います。
自分の良い部分もダメな部分もひっくるめて認めてあげてください。
まるで母親の子供に対する無償の愛のように。
きっと心のコップが満たされるはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。