多くの人は、目の前に見えている物質世界と現実というものを同じものとして考えています。
そのために「自分が現実の創造者である」ということを信じることができず、
「自分は運命の被害者である」と思い込んで人生を生きています。
物理的には同じ空間に存在していたとしても、
人によって見える世界=現実は違います。
なぜ人によってこうも人生が違うかというと、見えている現実が違うからです。
我々は現実の創造者である
「我々は現実の創造者である」と言うと、「うさんくさい」とか「宗教っぽい」という印象を持つ人がいます。
しかし、現実的に考えてみれば、それがごく当たり前のことであるということが腑に落ちるはずです。
確かに僕たちは、人生に起こる出来事をコントロールすることはできません。
しかし、その出来事に対する解釈の仕方は100%自分で決めることができます。
ネガティブな出来事が起こった時にマイナスに考えるか、
その中からプラスの側面を見出すことができるかは、僕たちで選ぶことができるということです。
マイナスな側面を見ている人と、プラスの側面を見ている人では、
まったく別の現実になることはわかりますよね。
あなたに嫌いな上司がいたとします。
でも、その人を嫌うのはあなた自身の中にその人を嫌いになる種(原因)があるからです。
だから、あなた自身が変われば自分の嫌いな人も消えていくということです。
あなたの嫌いな上司のことを好きな人もいるということは、
結局その人の問題なのではなく、自分のとらえ方の問題であるということです。
以上のことからもわかるように、僕たちは全員「現実の創造者」なんです。
運命の被害者として生きるということは、「現実は自分でコントロールすることができない」と信じている不自由な世界を生きるということです。
その不自由な世界では、起こる出来事に対していちいち一喜一憂することになります。
「自分の感情は出来事によってコントロールされている」と信じているからです。
「自分は現実の創造者である」と信じることができれば、
出来事によって感情を左右されることがなくなります。
感謝をする理由
感謝をする一番の理由は自分の波動が上がるからです。
宇宙に存在するすべてのものは磁石のような働きを持つエネルギーの固まりです。
感謝をすることによって自分の波動が上がれば、
波動状態が高い物が引き寄せられてきます。
いつも笑顔で感謝をしている人のところにはそういう人が集まるし、
否定的で誹謗中傷が好きな人のところには、そういうことが好きな人が集まります。
仮に、笑顔で感謝をしている人のところに否定的で誹謗中傷が好きな人が現れても、すぐにいなくなります。
なぜなら、その人にとって非常に居心地が悪いからです。
「感謝をしましょう」といろんな人が言っているのは、単に綺麗事として言っているわけではなく、そのほうがより多くの恩恵を受けることができるからです。
実は感謝をすることのメリットはそれだけではありません。
感謝状態にいるときはネガティブな感情を感じることがありません。
プラスとマイナスの感情は同時に存在することができません。
実際に試してみてほしいのですが、誰かに感謝をしながらその人に怒りの感情を感じることはできるでしょうか?
できませんよね?
だから怒りっぽい人というのは、喜びとか感謝の気持ちを持っていない時間が長い人ということです。
僕たちが無意識のうちにネガティブな思考に引っ張られてしまうのは、
普段からプラスの感情で生きていないからです。
逆にいうと、プラスの感情を感じることができないのは、
真逆の存在であるマイナスの感情を感じているからです。
どんなに友達と楽しく遊んでいても、翌日の仕事のことを考えて憂鬱な気持ちになっていたら、楽しい気持ちになることはできませんよね?
それは「憂鬱」というマイナス感情があるために、その対極にあるプラスの感情が同時に存在できないためです。
常に感謝の気持ちで過ごしていれば、マイナスな感情を感じることはありません。
だからマイナスな現実を創造しなくて済むということになります。
異なる世界の住人
「人によって現実は違う」ということが理解できると、他人の言動に感情を乱されることがなくなります。
残念ながらこの世の中には、他者の人格を否定するような発言をする人が一定数います。
昔の僕はそういう人たちの言動に怒りや悲しさを感じていましたが、
今は「この人は満たされていないんだろうな」と一歩引いた視点で冷静に見ることができるようになりました。
それはその人の人生だから僕がとやかくいう必要はないし、
住む世界が違うのだから、理解できなくて当たり前です。
それがわかると、他人の在り方に自分の感情を左右されない生き方ができるようになります。
「あの人の発言はあり得ない!」と怒りを感じることがありますが、
あれは他人の言動を自分のものさしで図ろうとうするから出てくる発言です。
相手は別世界の住人なのだから、自分の世界の尺度(価値基準)で図る必要すらないわけです。
なぜ他人の言動を自分の尺度で図ろうとしてしまうかというと、
生きている世界と現実を混同して考えているからです。
生きている世界が同じなのだから、お互いの共通認識があって当然と思っているので、
同じ物差しで他人の言動を測ろうとしてしまうのです。
でも、そもそも異世界の住人だと思っていれば、
「そういう人もいる」ぐらいにしか感じなくなります。
相手のことを理解できなくて当然だし、理解しようとする必要もありません。
もちろん彼らには彼らの現実があるのだから、その現実を壊すような言動は避けるべきです。
あなたが今日何人の人とすれ違い、何人の人と交流したかわかりませんが、
その人たちはすべて異なる現実を生きています。
今までは、全員が同じ現実を生きることを社会に強制されてきましたが、
これからの時代は、個人それぞれの現実がより尊重される時代になると考えています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。