先日見かけた悩みの中に「他人といるときにどうしても気をつかってしまう。自然体でいるにはどうしたらいいか?」というものを見つけました。
同じような悩みを抱えている人は多いんじゃないでしょうか?
かくいう僕自身も、目上の人に対して必要以上に委縮してしまうことがよくありました。
誰と一緒にいても自然体で過ごすことができたら、
こんなにうれしいことはないですよね。
今日の記事が参考になるかどうかはわかりませんが、
何かの気づきを与えるきっかけになると嬉しいです。
他人に気を使うのは人間として当たり前
まず大前提として、人間誰しも大なり小なり他人に気を使っています。
あなただけの問題ではありません。
それは立場や肩書が異なる人に対してだけではありません。
異性の前でいい恰好をしてしまうのも本質的には同じことです。
好きな人と嫌いな人に同じ態度で接している人はいないでしょう。
態度が変わるのは他人に気を使っているからです。
(この場合の「気」はエネルギーという意味です)
普通に考えて、誰にでも同じように接していたらそれはそれでヤバいです。
家族と同じような態度で社長に接してしまったら大変なことになりますよね。
万人が同じような問題を抱えているのだから、
そこまで悩む必要もないのではないかと思うのは僕だけでしょうか?
自然体でいたいという傲慢
「自然体でいたい」=「他人に気を使いたくない」ということです。
「ありのままの自分を表現したい」という意味で「自然体でいたい」と言っているわけではないでしょう。
「自然体でいたい」という人は、他人に気を使うことがあたかも悪いことかのように思っていますが、実は気を使うことは自分にとってもメリットがあるんです。
僕たちはなんで他人に気を使うんですか?
「嫌われたくない」からですよね。
嫌われたくないのは自分に不利益を被りたくないからです。
つまり、気を使うことによって自分自身が守られているということです。
自然体でいたい人は、他人に嫌われてそれによって不利益が生じても気にしませんか?
もしそうでないなら「自然体でいたい」というのは傲慢です。
「他人には気を使いたくない、でも嫌われて不利益も被りたくない」
どっちも取ろうとするのはちょっと虫が良いと思いませんかね?
自然体でいるか気を使うかはトレードです。
どっちの世界が自分が欲しいかというだけの話です。
傷つくのが嫌なら気を使うという選択になるし、
気を使うのが嫌なら傷つくリスクを取らなければなりません。
もちろん気を使わなくても嫌われない人間関係はあります。
しかし、それは心が許せる間柄のみです。
自然体でいるには自分を信用する
そんなことを言ってしまったら根も葉もないので、
どうやったら自然体でいられるかを考えてみます。
自然体でいられないのは他人に気を使っているからです。
他人に気を使うのは嫌われたくないからです。
嫌われたくないのは不利益を被りたくないからです。
要するに、「他人に嫌われたら大変なことになる」という恐れがあるから、
他人に気を使ってしまうということです。
どうでもいい人に嫌われてもそんなに気にならないはずです。
例えば、一度も会ったこともないし、これからも会うことはない人が自分を嫌っていたとしても、ちょっと嫌だけどそこまで気にしないはずです。
↑芸能人は常にこんな感じでしょう。
いちいち気にしていたらきりがありません。
「他人に嫌われたら大変なことになる」と思っているのは、
自分のことを信頼していないからです。
「何があっても自分は大丈夫」という気持ちがあれば、
別に他人に嫌われようが大した問題ではありません。
自分のことを信頼していないから、「どうしよう。どうしよう」と常に不安を抱えることになってしまうのです。
「自然体でいたい」という人は自分と自分の人生を信頼してあげてください。
まとめ
- 他人に気を使うのは当たり前のこと
- 気を使うことによって守られている
- 自然体でいるためにはトレードしなければならない
- 自分と自分の人生を信頼する
最後まで読んでいただきありがとうございます。