僕たちは毎日「今日」という日と出会い、そして別れを繰り返しています。
皆さんは今日どんなことをして過ごしましたか?
今日はとてもいい日でしたか?
それともつらい一日でしたか?
「今日」という日は二度と戻ってくることはありません。
自分にとっては何てことない一日だったとしても、
「今日」という日ともう二度と会うことができないと思ったら、
なんか寂しくなりませんか?
家族と一緒にご飯を食べた時間も、
友達とおしゃべりした時間も、
会社の人たちと過ごした時間も、
「今日」という日はもう帰ってこないのです。
彼らとはいつかお別れをしないといけない日がやってきます。
あなたが今日、彼らと悔いのない時間を過ごすことができましたか?
今日という毎日を全力で楽しみましたか?
僕は最近「死」について考えることがあります。
昔は「死」と言うものに対して恐怖の感情しかありませんでした。
でも今は、
恐怖ではなく、どこか寂しさを感じるようになりました。
大切な人々との別れだけでなく、
自分という存在との別れ。
もう自分という存在と一緒にいることができないのだという、
そういう寂しさです。
人が最期の瞬間を迎えるとき最も後悔することは、
「挑戦しなかったこと」だと言われています。
でも僕は、人が最期の瞬間に最も後悔することは、
「挑戦しなかったこと」
「成功できなかったこと」
ではないと思っています。
本当に後悔するのは、
「毎日を全力で楽しまなかったこと」
ではないかと考えています。
あなたは今日という日を全力で楽しみましたか?
笑った日も
泣いた日も
怒った日も
喜んだ日も
過ぎていった日々のことを全力で愛しましたか?
毎日がつまらないという人に、
この言葉を送ります。
「あなたが空しく過ごした今日は、
昨日死んでいった者たちが、
あれほど生きたいと願った明日」(出典不明)
あなたの1日は、
世界で一つだけしかありません。
成功なんかしなくても、
お金持ちなんかなれなくても、
毎日を全力で楽しむことができれば、
それが人生の幸せであり、
生まれてきた意味ではないかと思います。
おわり
(僕はいたって普通ですのでご心配なく)