今になって振り返ってみると、
過去の自分は本当に未熟だったと思えることが多いです。
特に他人と衝突することで失敗した経験が大きいです。
自分の正義を振りかざし、
相手が誰だろうと正論でねじ伏せる。
立場が上の人間にも自分の意見を曲げない自分を、
誇らしく思っているイタい人間でした。
「尖っていた」といえば聞こえがいいですが、
実際はただ自分の考えにそぐわない意見に反発していただけ。
とても未熟で器の小さな人間だったと思います。
昔の僕は自分のことを仕事ができる人間と勘違いし、
「仕事ができない奴はクズ」みたいに考える愚か者でした。
そういう考えを持っていたためか、
たくさん敵を作ってしまったし、
たくさんの人を傷つけてきたように思います。
中には炎上して食い下がってくる人もいましたが、
何も言わず黙って去って行った人もいます。
本当に申し訳ないことをしたと思っています。
深く傷つけてしまったのに、
結局謝ることもできないまま、
会えなくなってしまったのが心残りです。
彼ら・彼女らの今後の幸せを心から祈りたいと思います。
許してもらいたいからではなく、
懺悔の気持ちからそうしたいと思ったのです。
怒りの気持ちが湧いてくるときは、
感謝の気持ちが渇いているときです。
感謝の気持ちを抱いている人に怒ることはできません。
感謝すべきことを当たり前だと思う傲慢さがあるから、
「怒る」という愚かな行為をしてしまうわけです。
人間は支え合って生きていて、
自分ひとりで生きていくことはできません。
どんな成功者でも人格者でも、
他の人がいてくれるから生きていられるわけです。
自分の気に入らない人が直接自分に良い影響を与えなかったとしても、
その人が生きていることによって間接的に恩恵を受けることだってあります。
例えば、その人が経済活動をすることによって企業が潤い、
巡り巡って自分のところにお金がやってくる、なんてこともあります。
結局みんな誰かしらの役に立っているわけです。
いい人も嫌な人もみんな「私の人生」という映画に出演し、
ストーリーに彩りを与えてくれたキャストです。
そう考えると、自分のことを貶めた人間すら、
感謝の気持ちが湧いてくるような気がします。
人生には年齢とともにステージがあり、
各ステージごとに出会いと別れがあります。
一度別れた人達の大部分は、
おそらく二度と会うことがないでしょう。
僕の場合は特にいろんなところを転々としてきたので、
この人生で二度と会うチャンスがない人はたくさんいます。
そう考えると、感謝の気持ちと申し訳なさが同時に浮かんできます。
「今頃あの人たちはどこで何をしているのだろう?」
僕の人生という映画に参加してくれたすべての人に幸あれ。
そんなことを考えていた1日でした。