人生には小さなものから大きなものまで選択肢が無数に存在します。
今の自分は、過去の自分が選んだ選択がもたらした結果です。
「選択」という表現を使うと、人生の岐路といったような重要局面のことだけを考えがちですが、人間は毎日何かしらの選択をしています。
- 何を食べるか
- 何をするか
- どこへ行くか
- 誰と過ごすか
僕たちは、こういう細かい決断を無意識のうちにしています。
そして、その積み重ねが人生を形作っていきます。
人生の岐路となるような重要局面は数えるほどしか訪れません。
そういう意味では、日常の小さな選択のほうが何倍も重要であるような気がします。
決断をするときの基準
多くの人が選択をするときにしてしまう失敗が、「楽しいかどうか」ではなく「正しいかどうか」で決めてしまうということです。
「やりたい」、「やりたくない」という感情よりも、「やるべき」、「やるべきでない」を優先してしまうということです。
僕たちは、子供のころから「いい子」として振舞うように教育されています。
いい子とはすなわち「(周囲の人間にとって都合の)いい子」です。
大人のいうことを聞く人や、周囲の人間が期待する通りに行動できる人が「いい子」と呼ばれます。
「いい子にしないと親に嫌われる」という子供の頃に抱えていた漠然とした恐怖は、
大人になった今でも潜在意識に居座っています。
それが僕たちが選択をするときに「正しさ」を優先してしまう理由です。
他人に嫌われるのが怖くて、自分の気持ちよりも世間が正しいとする価値観を優先してしまいます。
正しさ=最善ではない
「正しい選択をする」ということは、一見すると正解を選んでいるように思えます。
確かに、「正しい選択をする」ことで不正解を選ぶ確率は減ります。
しかし、正しい選択をすること=最善の選択をすることではありません。
つまり、正しさを選ぶことよりももっと良い選択肢があるということです。
しかし、その選択肢を選ぶことは間違っていると人々は誤解しています。
その選択肢とは「楽しいかどうかで決める」というものです。
楽しいという言葉を他の言葉に置き換えると、「心地よい」という言葉で表現することができます。
絶対的な正しさは存在しない
正しさというのは人々の共通の固定観念によって決められています。
「○○すべき」、「○○しなければならない」という考え方は、
自分の意志ではなく他人からの影響によって作られた観念がベースになっています。
しかし、「何を正しいと思うか」は人によってさまざまで、絶対的な正解など存在しません。
ダメなものは法律で規定されています。
ということは、法に触れない限り間違った選択肢は存在しないということです。
「じゃあ、法に触れなければ他人に迷惑をかけてもいいのか」と思うかもしれません。
でも、楽しいことをやることと他人に迷惑をかけることはまったく別です。
あなたが好きなことをやって迷惑を被る人が果たしてどれだけいるでしょうか?
ここでお話ししているのはマナーの話ではありません。
自分のやりたいことをやるかどうかということです。
正しさは時代によって変化する
正しさを選ぶことがなぜ良くないのか、という理由のひとつがこれです。
正しさとは時代によって変化します。
一番わかりやすい例が、「大企業に入れば安泰」ということが正義とされていた時代です。
景気が良かったころは、大企業に就職すれば定年まで終身雇用され一生安泰でした。
だからこそ、「大企業に入ること」が正しいとされていたのです。
しかし、ご存じの通り今はもはやこの正義は通用しない時代になっています。
正しさ=世間一般の価値観で人生の選択をしてしまうと、
時代が変化したときに後悔してもしきれなくなります。
自分のやりたいことを選べば、仮にうまくいかなかったとしても、
自分の意志で決めたことなので後悔することはありません。
答えが変化するものが「正しい」なんて言えないですよね。
だから、正しい選択というのは「正しいと思っているだけ」です。
正しさ=他人軸
正しい選択をするとなぜ苦しくなるのかというと、正しさというのは他人軸だからです。
それに対して楽しい選択をするということは自分軸です。
楽しいかどうかは自分の主観によって決まるからです。
他人軸で生きれば生きるほど自由がなくなり、苦しくなります。
正しい=ジャッジ
「正しい」があるということは、「正しくない」もあるということです。
つまり、ジャッジをしているということです。
ジャッジをすればするほど、許せるものの数が減っていきます。
そしてほとんどのジャッジは大して吟味されることもなく、思い込みによる決めつけによって行われています。
僕たちは、予想以上に多くのことを食わず嫌いでジャッジしています。
正しい選択をするということは、その対極にあるもう一つの答えを否定するということです。
しかし、あなたにとっての本当の可能性はその対極にある答えに存在するかもしれません。
世の中の人々が「良い」と言っているものが、必ずしもあなたにとって良い物であるとは限りません。
もしあなたにとっての最善の答えがその対極にあったとしたならば、
正しさを選ぶことによって自らその可能性を潰してしまうことになります。
ジャッジをすると自分の視野がどんどん狭くなります。
正しさを基準に選択を見誤ると、自分の世界観はいつまでたっても広がらないままです。
だから、人生に刺激がなくなり退屈を感じるようになってしまうんです。
楽しいことを選んでいないので、ワクワク感を感じることもできません。
まとめ
正しさを選ぶことが必ずしも「自分の人生にとっての本当の正解ではない」ということがおわかりいただけたでしょうか?
人間は習慣の生き物です。
普段から自分にとって心地よい選択をする訓練をしておかないと、
いざというときに楽しさよりも正しさを選んでしまうことになります。
そうならないためにも、頭で考えて決めるのではなく、心で感じて決める習慣を身に着けておく必要があります。
最後まで読んでいただきありがとうございます。