「他人から認められたい」もしくは、
「他人から嫌われたくない」という欲求は、
人間の持つ欲求の中でもかなり強いものの一つです。
欲求ではなく本能と言ってもいいのではないでしょうか。
SNSがここまで普及したのも、
フォロワーの数やいいねの数によって
承認欲求が満たされるからでしょう。
「承認されたい」と思う人は承認されていない人です。
すでに多くの人から承認されている人は、
「承認されたい」なんて思いません。
現代人は承認欲求に飢えている、そんな気がします。
なぜ承認されたいのか?
そもそもなぜ僕たちは他人から承認されたいのでしょうか?
人間以外の動物は他者から認められたいなんて思いません。
つまり、承認欲求は人間独特の欲求だということです。
他人から認められることって、
実は大したメリットはありません。
せいぜいちょっと嬉しいぐらいです。
にもかかわらず、「認められたい」という強い欲求を持っているのはなぜでしょうか?
それは人間が社会的な生き物だからです。
人間は昔から集団を形成して生きてきました。
一人で生きていくことができない動物なのです。
他人から認めてもらえないということは、
すなわち仲間に入れてもらえないということ。
つまり、生死に直結するほど重要なことなのです。
だからこそ僕たち人間は、
本能的に「認められたい」と思っているのです。
自分を承認できない人の末路
「他人から認められたい」と思う理由は、
自分で自分のことを承認できていないからです。
冒頭でもお伝えした通り、
すでに承認されている人は、
「承認されたい」とは思わないものです。
自分に自信がある人は、他人から何を言われようが気にしませんよね?
自分で自分のことを認めることができていない。
だからこそ他人に承認を求めるわけです。
そして他人からも承認が得られなかったらどうなるか?
その人は他人を批判・非難することによって、
自分の承認欲求を満たそうとします。
相手の足を引っ張り自分が上に立つことによって、
自分で自分を認めようとするのです。
心が豊かな人は他人の足を引っ張ることなどしません。
やる必要性がないからです。
マウントを取ろうとする人も似たような感じです。
無意識の刷り込み
多くの人の承認の基準は「良い」か「悪い」かです。
つまり、上下で物事を判断しているということです。
- お金持ちは良くて貧乏人は良くない
- 美人は良くてブサイクは良くない
- 足が速い人は良くて遅い人は良くない
- 勉強ができる人は良くてできない人は良くない
このような「上下の物差し」で物事の価値を判断しているのです。
実はこれらの価値観は、
僕たちの中に無意識に刷り込まれたものです。
特にお金なんてわかりやすいですね。
ほとんどの人は「お金持ち=スゴい」と
反射的に感じているわけですから。
しかし、よく考えてみてほしいのですが、
その人はただ「お金をたくさん持ってるだけ」です。
本質的に考えればそこに良いも悪いもないはずです。
それを「お金持ち=スゴい」と感じると言うことは、
そういう刷り込みが無意識のうちにされているということです。
ただ「違う」だけ
自分のことを承認することができないのは、
上下の物差しで物事の価値を判断しているからです。
左右の物差しで世界を見るようにすれば、
良いも悪いもなく「ただ違うだけ」ということがわかるようになります。
- お金持ちがいてそうじゃない人がいる
- 美人がいてそうじゃない人がいる
- 足が速い人がいてそうじゃない人がいる
- 勉強できる人がいてそうじゃない人がいる
ただそれだけです。
上下の物差しで見るから良い悪いができるのであって、
左右の物差しで見ればそれは単なる違いに変わります。
そしてこれらの価値基準は、
ほとんどの場合断片的なものです。
人間の一部分だけを切り取って、
あたかもそれがその人全体の価値であるかのように思ってしまうのです。
すべての人間に長所短所が存在するように、
その人にだって弱点やコンプレックスはあるものです。
ただ、その断片的な要素が際立ちすぎているので、
そういうマイナス面が見えなくなってるだけです。
ニュートラルに物事を見る力
上下の物差しで価値判断をしないためには、
ニュートラルな視点で物事をみる力が必要です。
事実をありのままに認識する力のことです。
僕たちは事実をありのままに認識することがなかなかできません。
大抵の場合、認知バイアスというフィルターを通して、
良し悪しをジャッジして物事を認知するからです。
コップに水が半分だけある場合、
「半分もある」と考えるか、
「半分しかない」と考えるか。
しかし、事実はただコップ半分の水があるだけです。
認知バイアスは価値観によって決まるので、
何に権威性を感じるのかは人それぞれ違います。
「お金持ち=スゴい」と思っている人は、
お金に対する価値観の優先順位が高い人です。
しかし、実際はただそういう人がいるだけで、
そこにすごいもすごくないもないわけです。
承認欲求の奴隷
承認されたいという気持ちが強すぎる人は、承認欲求の奴隷になってしまうことがあります。
SNSにのめりこんでしまう人などは要注意です。
承認されるために自分の在り方がブレてしまい苦しくなる。
「自分がどうしたいか」よりも「他人からどう見られるか?」ばかりを考えて高度してしまうようになります。
まとめ
「他人から認められたい」と思うのは悪いことではありませんが、
一つだけ覚えておかなければならないことがあります。
それは、価値の基準は相対的なものであり、
人それぞれ異なる物差しを持っているということです。
つまり、Aさんがあなたのことを「スゴい」と思ったところで、
それが自分に対する絶対的評価ではないということです。
逆も同じでBさんがあなたを「すごくない」といったとしても、
それはBさんがそう思っただけにすぎないということになります。
ネット上には承認欲求に飢えた人がたくさんいますが、
身近な人ならまだしも、どこの誰かもわからない赤の他人に認められることは、果たして意味があることなのでしょうか?
その人はその人の物差しで自分の価値を測っているにすぎません。
そんなものをいちいち気にするのは、
時間がもったいないと思いませんか?
そんなものを気にするよりも、
自分で自分のことを認めてあげてください。
自分を承認できる人は他人のことも承認できます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。