宇宙ができる前すべてのものはひとつの同じ存在で、ビッグバンによって宇宙が誕生し、どんどん拡大と分離を繰り返していきました。
人間が潜在意識でつながっていると言われているのも、
もともと僕たちが一つの同じ存在だったと考えるならば筋が通ります。
人間で考えるならば、もっとも分離した状態は個人=自分という存在です。
人間が争いあうのも分離しようとする働きによるものです。
それがもっとも顕著な形として現れたのが戦争です。
しかし時代は今、分離から融合に向かいつつあります。
もし人間同士が融合して、あなたと私が同じ存在として認識されるようになったならば、人々は協力し合い争いもなくなっていくことでしょう。
人間の自我
僕たちが他人と比較して落ち込んだり優越感に浸ったりするのは、「あなたと私は違う」という分離の思想によるものです。
人間なんだかんだいって自分のことしか考えていません。
なぜ分離をするのかという理由は、人間には「自我」というものがあるからです。
他の動物にも自我はありますが、人間ほど明確な自我ではありません。
例えば、アリは自分と他のアリを分離して考えているでしょうか?
アリという一つの存在があって、その中の一部ぐらいにしか考えていないはずです。
Aくんというアリと、Bくんというアリを明確に区別して生きていることはありませんね。
虫が共食いなどをして種の保存をするのも、同じ理屈ではないかと考えています。
もし明確な自我が存在するならば、自分の身を犠牲にしてまで餌になろうとは思わないはずです。
自分と全体という存在が融合しているからこそ、このようなことができるのだと思います。
自分が死んでも、種として命が受け継がれているのであれば、それは自分が生きているのと同じこと。
なぜなら、自分=みんなだからです。
自分とみんなが同じ存在だと認識しているのは、融合しているからだと考えられます。
人間は自我を前面に押し出すからもめごとが起こるんです。
「自分の思い通りに他人が行動しなければ腹が立つ」というのも、自我があるがゆえに起こることです。
あなたも私も同じという意識があれば、他人がどう振舞おうが怒りは沸いてこないはずです。
抽象思考で自我を離れる
抽象思考については以前こちらの記事で解説しておりますので、説明は割愛します。
抽象思考とは、今の自分の視点よりも一つ上の視点から物事を考えることです。
今の自分の抽象度が一番低いのであれば、あなたの視点は「自分」になっています。
もし、抽象度を1つあげるなら「男(女)」になります。
さらに抽象度を上げると日本人、さらに上げると人間といった感じになります。
抽象度が高ければ高いほど、広い視野で物事を見ることができるようになります。
その感覚を言語化するならば、高い視点から俯瞰しているような感覚に近いです。
自分とAさんを同じ人間として意識するのであれば、Aさんの行動に腹が立つことはないはずです。
なぜなら、Aさんは自分でもあるからです。
逆にAさんが喜ぶようなことがあったら、自分もうれしくなります。
Aさんと自分は同じ存在なのだから、Aさんにいいことがあるということは、自分にいいことがあることと同じだからです。
雨が降った時に「嫌だなあ」と言わない
朝起きて窓を開けると雨が降っています。
あなたはその様子を見て何を考えますか?
「雨か、嫌だなあ」と考えてしまう人がほとんどなのではないかと思います。
でもそれは、自分目線だからそう感じるのです。
言い換えると、自分のことしか考えていないからそう思うということです。
地球全体のレベルで考えるならば、雨が降るということはありがたいことです。
それがたまたま自分のところに降ったから「嫌だ」と感じるのは、
自我があるからに他なりません。
もし百歩譲って、自我とか関係なく雨自体が悪い物だとした場合、
他の地域に雨が降っているときも「嫌だなあ」と思わないとおかしいことになります。
他人のところに降っている雨はなんとも思わないのに、
自分のところに雨が降っているときだけ不満を言うのは、
自我がある=自分のことしか考えていないと言えると思います。
あなたが車に乗っていて、工事渋滞にはまったとします。
「なんだよ。こんなところで工事しやがって」
と文句を言いたくなるかもしれません。
確かにあなたの目線から見れば、その工事は迷惑以外の何物でもありません。
でも、その工事があることによって恩恵を受ける人もたくさんいるのです。
自分と他人が融合している状態ならば、この手の文句は生まれないはずです。
自我を離れた世界へ
自我があるから人間は比較したり、争ったり、傷つけあったりします。
一人の力よりも大勢の力の方が、得られる結果が大きくなるということは、誰でも理解できることです。
だから人間は争いあって分離しようとするよりも、
協力し合って融合するほうが絶対にもっと進歩できるはずです。
これだけ頭のいい人が世界にはたくさんいるのに、
そのことについては誰も触れません。
国と国が争うよりも地球人として皆で協力しあうほうが、
人間は絶対に幸せになれると思います。
でも、それをやってしまうと自分が不利益を被る可能性がある。
だから、分離(争う)しようとするのだと思います。
その根底にあるものは自分のエゴです。
人間ひとりひとり違うのだから、自我だけで生きていると苦しくなるのは当たり前です。
自我という観点から考えれば、血のつながった家族ですらも他人になります。
抽象度を上げて、今の自分よりも1段高い視点で物事を見る。
そうすると、自分だけでなく家族のことを考えられるようになります。
さらに抽象度を上げると、地域社会や会社組織のことも考えられるようになります。
そうすると、周りの人にイライラしなくなり、たくさんの人に感謝されるようになります。
結局そういう視点で生きている方が楽です。
自分のことだけを考えている人生は疲れます。
抽象思考をするのは、他人のためだけでなく自分の人生を楽にするためでもあります。
抽象度が上がると器が大きくなり、財布のサイズも広がるというメリットもあります。
最後まで読んでいただきありがとうございます。