潜在意識と引き寄せの法則でどん底から人生逆転

カナダで失業、生活保護、人生どん底からの逆転。

答えは根本にあり



お金という人類最大の発明により、見えなくなってしまったものがあります。

それは「本当の価値」です。

 

お金というものは価値と交換するためのただの媒体であり、その物自体には価値がありません。

お金が欲しいのは、その先にある価値がほしいからです。

しかし、多くの人はお金を手に入れることこそが本当の目的(価値)であると錯覚しています。

 

物事の本質を見る癖をつけると、人生で見える景色が変わります。

今日のテーマは「根本(本質)を見る」です。

 

長財布を持つとお金が貯まる?

一時期「長財布を持つとお金が貯まる」という情報が流行ったことがあります。

僕自身はこのことに関して、「正しいとも言えるし、正しくないとも言える」と個人的には思っています。

 

この長財布を持つとお金が貯まるという情報を聞き、長財布を使い始めた人も少なくないのではないでしょうか?

 

この「長財布を持つとお金が貯まる」という言葉の本当の意味を理解できないまま、ただ言葉だけを鵜呑みにした人はおそらくお金が貯まることはなかったと思います。

 

これも物事の根本を見ていないひとつの事例です。

この言葉の重要なポイントは「長財布を持つ」ということではありません。

 

長財布を持つ=お金を大切に扱う

 

ということがこの言葉の根本にある本当の意味です。

 

長財布を使えばお札を折り曲げないでしまうことができます。

お金を擬人化して考えると、やっぱり大切に使ってほしいと思っているだろうし、できることなら折り曲げてほしくないと思っているはずです。

長財布を使うとお金が貯まるという言葉の真意はそこにあると思います。

 

手段が目的化している現代社

この世の中には手段が目的化しているものがたくさんあります。

むしろ、ほとんどのものがそうではないかと思えます。

 

冒頭のお金の例も手段が目的化している事例のひとつですね。

お金がほしいのではなく、その先にある価値がほしいはずなのにそのことが見えなくなっています。

 

英語学習なんかもそうですね。

 

最初は外国人とコミュニケーションが取れるようになりたいなどの動機で始めた英語学習も、気がついたら英語を学ぶことが目的になってしまっていることがあります。

しかし、目的と手段が逆転することがなければ、英語を学ぶという手段自体はどうでもいいんです。

英語学習に費やした時間とお金を自己投資に使って、通訳が雇えるぐらいお金を稼げばいいだけの話です。

 

文明が発達していないころはもっと目的が明確だったと思います。

 

「魚が食べたい」と思えば自分で川に捕まえにいくこともできるし、漁師のところに野菜を持って行って交換してもらうこともできます。

「魚を食べる」という目的が達成できれば、手段は何でもいいわけです。

 

それがお金というものが発明され、その存在に人間が価値を置きすぎるようになってしまいました。

その結果、「魚が食べたい」と思ったら「お金を稼がないといけない」と思うようになってしまったということです。

 

本質を見たほうが楽

根本を見る習慣が身についていないと、どんどん苦しくなっていきます。

根本が見えていないということは、言い換えると手段を限定してしまっているということです。

 

「魚を食べる」という目的のためなら手段は無数にあるはずなのに、いつの間にか「お金」を手に入れるのが目的化してしまい、それしか魚を手に入れる方法がないと錯覚してしまっているために苦しくなってしまっています。

 

人々がお金が欲しい理由は何でしょうか?

 

お金を手に入れる目的をずっと突き詰めて考えると、最終的には「幸せになりたい」という目的にたどり着きます。

しかし、根本を見る習慣が身についていないがゆえに、幸せになるためにお金を稼ぐはずが、お金を稼ぐために(我慢をして)不幸せを感じている人がたくさんいます。

 

幸せになるのであれば、必ずしもお金が必要というわけではありません。

 

家族とゆっくりとした時間を過ごすだけでも、自然の中でのんびりするだけでも幸せを感じることができます。

 

そして、そっちの方がエネルギーを消耗せず(楽に)幸せになれるんです。

 

普段から本質を見る習慣を身に着けるためには、抽象思考で物事を見るようにするといいと思います。

 

www.theloablog.com

 

近い距離から物事を見ると、その奥にある本質が見えなくなります。

そのためには一歩引いた場所から全体を眺めるようにする必要があります。

抽象化思考のイメージは「上空から俯瞰している状態」です。

抽象化思考で物事を見る習慣が身に着くと、物事の本質が見えやすくなります。

 

昨日の記事で引き寄せの法則の真偽について僕の見解を簡単に述べましたが、この件に関してだって本質がわかっていれば議論をすることがいかに無意味であるかがわかります。

 

結局幸せになりたいから引き寄せの法則について知りたいのだと思うのです。

だったら、自分に都合よく解釈して幸せになればそれでいいと思うんです。

しかし、肯定派も否定派も相手を論破することが目的になってしまっています。

 

神様だって同じです。

「いる」と信じるほうが幸せになれるのであれば信じればいいし、「いない」と信じるほうが幸せになるのであればそう信じればいい。

どうせ存在の真偽を証明するのは不可能なのだから、自分の信じた世界で生きればいいだけの話です。

 

真偽を証明することが目的になるから、争いが起きて苦しくなるんです。

本質を見たほうが楽に生きれます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

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