僕は野球ファンではありませんが、それでもイチロー選手の引退を聞いた時は、とてもさみしい気持ちになりました。
彼の引退会見の中で「後悔などあろうはずがない」という有名なスピーチがありましたが、僕もまさにその通りだと思います。
これは彼だからそう思うのではなく、我々すべてに言えることだと思います。
すべては最善のためのプロセスであり、必然である
僕が「後悔などあろうはずがない」と感じるのは、この考えが根底にあるからです。
自分の過去の経験がすべて最善へ向かうためのプロセスで、必然的に起こっているのであれば、後悔などしようがないからです。
「自分の経験がすべて最善だなんて、そんなはずはない」と思う方もいらっしゃると思うので、一つずつ説明していきたいと思います。
人間は進化する生き物である
なぜ過去の経験がすべて最善であるかと言えるのかは、「人間とは進化する生き物である」と言えるからです。
人間にはDNAレベルで進化するようなプログラムが記録されています。
したがって我々も日々進化しているのです。
進化しているということは、最善の方向に向かっているということですよね。だからこそ、過去の経験も自分が進化するために必要不可欠な出来事であったと考えることができるのです。
ではなぜ人間は進化する生き物であると言えるか、ということについて考えてみたいと思います。
例えば他の動物と比較してみてください。
犬や猫などあらゆる動物は2000年以上前から存在していました。しかし、現代の犬や猫と当時の犬や猫を比べても、おそらくほとんど違いはないはずです。
それでは、2000年前の人間と現代の人間を比べてみてください。
もし、人間が進化しない動物であるならば、今現在も石器を使っていたり、狩猟することで生活をしていたはずです。
それが、年代を重ねるごとに文明が発達し、テクノロジーが向上してきました。
特に過去10-20年の進化は急速に進んでいると思います。
今から20年ぐらい前にようやく携帯電話が普及しはじめたかと思うと、いつの間にかスマートフォンが浸透しはじめましたね。
ですからこの数十年で人間自身も急速に進化してきているということだと思います。
年配の方のほうが人生経験が豊富(=知識も経験もある)にも関わらず、20歳前後の若者のほうがコンピューターの扱いが上手ということは、この数十年の間だけでも人間が進化していると言えるのではないかと考えています。
普通に考えれば、経験や知識が豊富な年配の方のほうが、右も左もわからない彼らよりもパソコンが上手に使えるはずです。
年配の方々を非難するつもりはありませんので、気分を害してしまったら申し訳ございません。
偶然論と必然論
偶然論と必然論というものがあります。これに関しては証明のしようがないので、どちらが正しいとか間違っているというのは、誰にもわかりません。
ただ、僕個人は「世の中の出来事はすべて必然である」と思っています。
例えばAくんが自分の過去を振り返ってみて、大学進学で後悔していたとします。
「あの時B大学ではなく、C大学に行っていれば自分の人生はもっと良いものになっていたはずだ」と考えていたとします。
しかし仮に時間を巻き戻したとしてもAくんは同じようにB大学を選んでいたはずです。
今現在のAくんの状態で時間が巻き戻されていたら、C大学を選んだでしょう。
しかし、B大学を選んだ時点のAくんの最善の選択は「B大学に進学する」というものだったからこそ、その道を選んだわけです。
今の自分ならそういう選択はしないかもしれませんが、その決断をした時点の自分の選択はそれが最善だったということです。
だから、「すべての出来事は必然である」と僕は思っています。
過去(の解釈)は変えられる
過去に起こった出来事は変えられませんが、その出来事に対する解釈は変えることができます。
自分にとって最悪だったという出来事を今一度思い出してみて、その出来事にギフトはなかったか考えてみてください。
僕も大学の部活で挫折したり、日本での仕事で納得のいく扱いをしてもらえなかったり、カナダで半ばクーデター的に退職に追い込まれたり、求職活動をしても全然仕事が決まらなかったりなどという経験がありました。
その時はそれらの出来事のことを最悪だと考えていましたが、今考えるとその時の経験があったから、今の自分があるのだと思っています。
もし仮に、大学の部活がうまくいっていたら、日本の仕事に満足していたら、カナダの会社でいまだに働いていたら、求職後すぐに仕事が決まっていたら、ということを思い返してみた時、それらはすべて自分の本当に進みたい道ではないということに気が付きました。
だから今では、そういった一見するとネガティブに感じるような出来事も、すべては自分が進化するために必然的に起こった出来事である、ということがすごく腑に落ちています。
後悔をするということは「過去の自分(の選択)を否定する」ということです。
その時の自分がいてくれたから、今の自分が存在しているのです。
必死に生きて、最善の道に進んでくれた自分を否定したらかわいそうです。
あなたが笑顔で「後悔などあろうはずがない」と言っている姿を見れば、きっと過去の自分も喜んでくれるに違いありません。
今日は以上です。
いつもブログを読んでくださりありがとうございます。