昔の僕は「でも」と「だって」が口癖の典型的な言い訳人間でした。
当時は若かったのでそういう自覚もありませんでしたが、今考えてみると自分の成長を妨げていたのは、この言い訳体質だったことが理解できます。
そして、今度は自分が周囲の言い訳体質の人間を客観的に見るようになって、言い訳がもたらす人生の弊害というものも見えてくるようになりました。
もしあなたが現状の生活に満足しているのであれば、自分を変える必要はありません。
しかし、もし現状を少しでも変えていきたいと思うのであれば、進化・成長していかなければなりません。
そして、進化・成長をしたいのであれば、言い訳ばかりする人生と決別する必要があります。
言い訳する理由
人間が言い訳をする理由は自己防衛のためです。
人間には承認欲求があります。いつだって「認められたい」と思っているのが人間です。
それゆえに「否定」や「批判」を恐れる傾向が強いです。特に日本人はその特徴が顕著です。
何かで責められている時、「自分は悪くない」ということを相手に理解してもらうために言い訳をします。
自分を正当化することで「否定される」という痛みを避けようとしているのです。
言い訳は現状の自分を肯定しているということ
「自分は悪くない」ということを主張するのが言い訳だとすると、言い訳とは自己正当化と言うこともできます。
自己正当化をするということは、現状の自分を肯定しているということでもあります。
相手の批判が的を射ているかどうかは別として、そこには何かしらの指摘があるわけです。
しかし、言い訳で自己正当化してしまうことで、それらのアドバイスをすべてシャットアウトしてしまうことになります。
相手の指摘が正しければ、それは自分が成長するための大きなヒントであったわけです。
仮に相手の指摘が正しくなかったとしても、「そういう考え方もあるのか」というように、新しい目線を見つけることができるようになります。
言い訳をすることでそれらの情報をすべて遮断してしまうことになるのです。
そして言い訳は自分の内面にとっても大きな弊害をもたらします。
自己正当化をするということは、現状の自分を肯定しているということです。
現状の自分を肯定しているということは、自分は変化する必要がないと「無意識」に思ってしまっているということです。
表面上は「変わりたい」と思っていたとしても、言い訳をしてしまうと潜在意識(無意識)は「変わる必要がない」と認識してしまいます。
顕在意識と潜在意識に矛盾が生じたとき、勝つのは必ず潜在意識です。
なぜなら潜在意識は全体の意識の97%を占め、顕在意識はわずか3%しかないからです。
したがって、言い訳をすることによって自ら進化・成長のチャンスを逃してしまうことになるということが言えます。
言い訳は学びを逃す
さきほども言いましたが、言い訳とは相手の指摘をすべて遮断するということです。
誰かが何かを主張するとき、必ずそこには意図が存在します。
「なんでこの人はこんなことを言うのだろう」ということを冷静に考えることができれば、相手が伝えようとしていることが理解できるはずです。
相手の伝えたいことを理解して、それを受け入れるかどうかは自分で決めればいいと思います。
明らかなに的外れな指摘も多々ありますが、それにしても「そういう考えの人間もいる」という学びになります。
どうせごちゃごちゃ言われるなら、何か学びがないと損した気分になります。
言い訳は他者否定
言い訳をするとき「でも」、「だって」とついつい口にしてしまうことがあります。
「でも」、「だって」は英語に訳すとButです。つまり否定です。
要するに言い訳とは相手の主張を否定しているということです。
自分の言い分を否定されて気分のいい人間はいませんよね。
何か責められることがあると、つい反射的に言い訳をしてしまいそうになりますが、実際のところ言い訳をするほうが、より問題がこじれてしまったり、自分の評価が下がってしまったりします。
相手は言い訳を聞きたくて僕たちを責めているのではないのです。
言い返したくなる気持ちもわかりますが、そこは「はいはい」と言って聞いておいたほうがその場が丸く収まるので後々楽です。
さっきも言いましたが、相手の指摘が的外れなら聞き流せばいいだけです。
よく言われるのは「ご指摘ありがとうございます!」とカウンターを食らわせるのがいいと本などに書いてありますね。
相手の言い分を黙って受け入れると、自分の評価に傷がつくと心配するかもしれません。
でも、実はその自分を責めてきた相手も、自分の内面がその人物を通して現実化しているだけです。
表面上はその人に批判されているように思えますが、実は自分の内面が自分に対して物申しているだけなんです。
他人なら憎たらしく思えても、自分自身がしゃべっていると思ったらそういう感情も小さりませんか?
仮にそれで何かしらの不利益があったとしても、その出来事自体も自分(の内面)が運んできたものなので、心配する必要はありません。
きっとその後に起こる何かしらのギフトのきっかけに、その出来事が必要であるということでしょう。
言い訳ばかりする人生は確実に停滞します。
最後まで読んでいただきありがとうございます。