今までまったく不自然に感じることはなかったのに、最近やたらと違和感を感じるようになった発言があります。
それは「年収1億円稼ぎたい」という発言です。
金額自体は重要ではありません。わかりやすくするために1億円としているだけで、
1千万だろうが5千万だろうが同じことです。
「あなたの夢は何ですか?」と聞かれたとき、これと同じような発言をする人は多いです。
過去の僕自身もその中の一人です。
昔の僕は、他の人がそのような発言をしていても何も違和感を感じませんでした。
でも今の自分は、この発言が非常におかしなことを言っているように聞こえて仕方ありません。
それは、自分と対話をするようになり自分の本当にやりたいことが明確になったことが原因だと考えています。
お金を他の媒体にして考えてみる
コインや紙幣といったお金のフォーマットで考えるとわかりづらいので、
お金を別の何かに置き換えてみます。
例えば、お金のフォーマットが石ころだったとしたらどうでしょうか?
「私はどうしても石ころがほしいんです!」
と言っている人を見てあなたはどう思いますか?
もちろん石ころであったとしても、価値の交換という役割は変わらないので、発言自体は矛盾していません。
でもなんかちょっとおかしな感じに聞こえませんか?
石ころに対する異様なまでの執念は、非常に違和感を感じます。
僕だけですかね?
お金に価値を置きすぎている人は、「お金」を「お金様」として扱います。
同じように「石ころ」に「石ころ様」として接するということです。
その光景は滑稽でもあり不自然にも見えます。
本当にやりたいことがわかっていればお金が出てくるのはおかしい
どんなにお金を持っていても使わなければ意味がありません。
お金を欲しいと思うのは、何か欲しい物や欲しい結果があるからです。
- 豪邸に住みたい
- 世界一周旅行をしたい
- 家族とのんびり暮らしたい
- 起業して世の中に貢献したい
願望はひとそれぞれ違いますが、誰しも「これだけは絶対にやりたい」というものが必ず一つはあるはずです。
だとするならば、「あなたの夢は何ですか?」と聞かれたときに、お金ではなく「豪邸に住みたい」などの願望が出てこないとおかしいことになります。
その手段としてお金は必要になりますが、その願望が叶うのであれば別にお金は必要ないはずです。
お金が欲しいのはその願望をかなえたいからであって、
願望が叶うのであればお金はいらないことになります。
あなたの願望が「豪邸に住みたい」というものだったとします。
その場合、ドラゴンボールのシェンロンがいたとして、
「1つだけ願いをかなえてやる」と言われたら、
「豪邸に住みたい」とお願いしますよね。
「お金が欲しい」というお願いをすることはないはずです。
なぜなら、どうせそのお金は豪邸に住むために使うからです。
「年収1億円欲しい」と望むのは、そのお金を使ってやりたい「何か」があるからですよね?
別に1億円の札束が欲しいわけではないと思います。
お金が欲しいと思うのは自分の夢が明確でないから
僕が推測するに、「お金が欲しい」と考える理由は「自分の夢が明確じゃない」からではないかと思います。
自分の欲しい物ややりたいことがわからない。
だから、とりあえず(つぶしがきく)お金が欲しいのではないでしょうか。
食べたいものが明確なのであれば食堂のタダ券はいりません。
何が食べたいかわからないから、「とりあえずタダ券をもらっとこう」と思うわけです。
「自分はやりたいことがたくさんある。だからお金が欲しいんだ」と主張するかもしれません。
でも、そのたくさんあるやりたいことの中にも必ず優先順位があるはずです。
1つだけ選ばないといけないとしたら、絶対に外せない何かが必ずあります。
その夢だけを強く意識することです。
そうすればその願望は必ずかないます。
「お金が欲しい」と思っているうちは、自分の本当にやりたいことが明確じゃないのだと思います。
なぜ明確でないのかと言うと、自分自身との対話をしてこなかったからです。
だから、気づかないうちに他人の価値観を自分の幸せだと錯覚してしまっているのだと思います。
自分の好きなことに没頭できるなら、それだけで幸せという人もいます。
大好きな家族とずっと一緒にいれるなら、それだけでいいという人もいます。
世の中に価値提供をして貢献できたら、これ以上ない喜びを感じる人もいます。
夢の大小は関係ないし、他人と比較する必要もありません。
自分が何に幸せを感じるのかがわからないと、
どんなに頑張っても幸せになることはできません。
その答えはあなたの内側にしかありません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。