自由に憧れる人は多く、
一般的に自由と聞くと良いイメージを持っている人がほとんどです。
しかし、自由には責任が伴うことを忘れてはいけません。
「自由に生きる」ということは、
「何があっても自分の責任」ということになります。
何かに依存して責任を取らなくて済む生き方の方が、
実は楽だったりするわけです。
会社に不満を抱え自由を求める人は後を絶ちません。
でも会社に依存することによって、
ある程度収入に対して責任を取らなくて済みます。
もし会社を辞めて「自分で稼ぐ」という選択をしたら、
自分が収入に対して全責任を負わなければなりません。
どっちをとるかは自分で選択できます。
しかしどちらも同時に取ることはできません。
「会社を辞めて自由になりたい」のであれば、
辞表を叩きつければいいだけです。
やろうと思えば誰でもできるんです。
でもそれをすることによって、
自分の収入に対する全責任を自分が負うことになります。
自由を差し出すか自分で責任を負うか
自分で責任を負いたくないのであれば、
自由を差し出して何かに依存すればいいです。
子供は親に依存しています。
基本的には親の言うことに従わなければなりません。
その代わり何かあったときの責任は親がとってくれます。
あなたは動物園の動物です。
自由を放棄して檻の中で暮らすという選択をすれば、
とりあえず食料と身の安全は確保されます。
もし自由を求めて野生に飛び出していくなら、
食料にありつけなくても肉食動物に襲われても、
すべて自分で責任を取らなければなりません。
先ほども言ったように
「会社を辞めて自由になりたい」と思うなら、
誰でもカンタンに自由になることができます。
しかし、そうすると収入の保証はなくなります。
だからこそ、ほとんどの人は収入の保証と引き換えに
「自由を差し出す」という決断をするわけです。
それが正しいとか間違ってるとか、
そういう話ではありません。
自分で「自由を差し出す」という決断をしたのだから、
不自由な状況は受け入れなければならないということです。
両方追い求めるから苦しくなるわけです。
「食べたいけど痩せたい」と言ってるようなものです。
本質的に自由は存在しない
多くの人はお金持ちになれば自由になれると思ってますが、
本質的に自由など存在しません。
この物質世界では必ず何かしらの制限があります。
例えば重力など。
どんな大富豪でも鳥のように空を飛ぶことはできないし、
魚のように海を泳ぐこともできません。
人間界にも法律という制限があります。
億万長者だからといって、
何でも思い通りにいくわけではないです。
他人の家を気に入ったからと言って、
了承もなしにいきなりその人の家に住みだしたら
警察にしょっ引かれることになります。
お金持ちになったからといって、
世の女性すべてを振り向かせることができるわけではありません。
結局のところ自由など存在しないということです。
お金持ちになると自由になるわけではなく、
人生の選択肢が広がるというだけです。
もちろんそこにも責任は生じるし、
できることの制限だってあります。
やりたいことがあるから自由になりたいのか?
「自分のやりたいことがわからない」という人は多いです。
自分のやりたいことがわからないのに、
なぜか自由を追い求めます。
やりたいこと、やるべきことが決まってないのに、
自由になったらある意味地獄です。
どうすればいいかわからず途方に暮れることになるからです。
白い紙を渡されて、
「なんか書いてください」
と言われたら困りますよね?
「リンゴ書いてください」とか
「車を書いてください」と言われるほうが楽です。
自由には責任が伴います。
やりたいことがあるわけじゃないのに、
自由になってしまったら責任だけ追うことになります。
大抵の場合、やりたいことがあるから自由になりたいのではなく、
嫌なことをやりたくないだけということが多いです。
まとめ
自由が欲しければ自分の人生に対する責任を負う必要があります。
要するに、相当の覚悟が必要になるということです。
その覚悟ができないなら、
自由は諦めてください。
仮に自由が得られなかったとしても、
その状況を最大限に楽しむ姿勢があれば、
幸せになることができます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。