与える人は人から好かれます。
奪う人は人から嫌われます。
与える人は人から信頼されます。
奪う人は人から避けられます。
与えるという行為は他人から喜ばれるだけでなく、
自分自身も喜びを感じることができるという最強の行いです。
「与える」という行為はとても難しい印象があります。
「与えるためには自分が経済的に豊かでないといけない」という思い込みがあるからです。
どんな人でも与える人になることはできます。
しかも経済的豊かさはまったく関係ありません。
今日の記事を読んで、「豊かでないと与える人になれない」という思い込みを外すお手伝いが出来たら、僕としても非常にうれしいです。
与える=何かをあげることではない
「与える」という言葉を聞くと、どうしても「お金や物をあげる」というイメージがありますが、物質的に何かをあげることだけが「与える」ということではありません。
そういう思い込みがあるから、
「与える人になるためには経済的に豊かでなければならない」
と誤解してしまうのだと思います。
モノやお金というのは表面的なものでしかありません。
与えるという行為の本質はもっと深いところにあります。
本当に与えているものは「喜び」です。
与えるという行為は人を喜ばせる行為です。
だから与える人のところにはお金が集まるのです。
自分が出したものが入ってくる
宇宙法則の一つに「自分の出したものが入ってくる」というものがあります。
出した「もの」と言っていますが、
実際には「もの」ではなく、波動やエネルギーのことを指します。
多くの人は「出来事が先で反応が後」だと思っています。
しかし実はこの順序は逆で、「反応が先で出来事が後」なんです。
この記事では「発信が先、受信が後」と表現しています。
この記事では「あり方が先、結果が後」と表現しています。
表現はそれぞれ違いますが、言わんとするところは同じです。
「良くない出来事が起こったからネガティブな気持ちになる」
という順序が正しいと思いがちですが、
実際は「その前にネガティブな波動を発していたからよくない出来事が起こった」
という順番が正しいのです。
つまり、与えるという行為を「先に」すれば、
そのエネルギーが回りまわって自分のところに返ってくるということです。
ポイントは「先に」という部分です。
与えていないのに与える人
ここでクイズです。
「与えていないのに与える人」とはいったい誰のことでしょうか?
ヒントは与えることの本質です。
与える行為の本質は喜びを与えることでしたね。
では正解発表です。
「与えていないのに与える人」、その正体とは...
赤ちゃんです。
赤ちゃんは存在しているだけで周りの人を幸せな気分にしてくれますよね?
存在しているだけで喜びを与えるってすごいことです。
もちろん、「与えていないのに与える人」は赤ちゃんだけではありません。
「この人と一緒にいるとなぜかいい気分になれる」
と相手に思わせることができる人は、与えていないのに与える人です。
与えられながら与える人
またまたクイズです。
「与えられながら与える人」がいますが、いったいどんな人のことでしょうか?
これはちょっと難しいと思うので、正解を発表したいと思います。
正解は「感謝する人」のことです。
感謝は相手を幸せな気分にさせることができる尊い行いです。
例えばあなたが道を歩いていて、
募金箱を抱えた人が立っていたとします。
あなたは財布からお金を取り出し募金箱に入れます。
その人は深々と頭を下げあなたに「ありがとうございます」とお礼を言いました。
あなたがその場を去るときも、視界から見えなくなるまでお辞儀をして見送ってくれました。
あなたはどんな気分を感じるでしょうか?
胸があったかくなるような感情が湧いてきませんか?
それが与えることによって得られる人間にとっての最高の喜びです。
以前どこかの記事でお釈迦様の托鉢の話をしました。
お釈迦様の弟子たちはお金持ちの住む町に托鉢に行きましょうとお釈迦様に持ち掛けるのですが、お釈迦様は弟子たちに貧しい人々が住む町へ托鉢へ行くよう命じます。
その真意は「貧しい人々は与える経験をしたことがないから、彼らに与える喜びを教えてあげなさい」というものでした。
感謝をすることは相手に喜びを与えることでもあるのです。
まとめ
物質的な何かを与えることも素晴らしい行為です。
でも、物質的に与えるものを持っていなかったとしても、
与える人になることはできます。
感謝の気持ちを忘れず人から喜ばれる存在になることが、「真の与える人」になることです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。