願望を実現し、人生を豊かにするためには習慣を変える必要があります。今の現実というのは過去の自分の習慣の結果でしかありません。
同じ習慣を繰り返す限り、同じ現実が待っているだけですので、もし人生を好転させたいのであれば、自分自身の習慣を変えていく必要があります。
そのためには「人生がうまくいっている人」の習慣を観察し、自分でも実践してみることです。
もし彼らの良い習慣を真似しているのになかなか人生がうまくいかないということであれば、何か捨てるべき「悪い習慣」がないか自分自身を見つめなおし、それを止めることをおすすめします。
テレビのニュースを見ない
僕個人が考えるやめるべき習慣は「テレビのニュースを見ること」です。
ニュースというのは世の中に起こる出来事を発信しているもので、情報を入手する上で非常に重要な役割を果たします。
ニュースを見るのを止めることで世の中の情報から取り残されてしまうのでは、と感じるかもしれません。
でもそれはインターネットがなかった時代の話です。今は欲しい情報があれば、インターネットを見ればすぐに見つけることができます。
テレビで放送されているニュースというのは、大体インターネットでも同じ情報が発信されています。
事実だけを知りたいのであればネットのニュースで十分だからです。
テレビのニュースを見るべきでない理由
①大体がネガティブな情報
ニュースというのはその性質上、ほとんどがネガティブなものばかりです。ポジティブなニュースよりもネガティブなニュースのほうが視聴者を獲得できるからです。
この理由については後述しますが、人間心理として他人のネガティブな情報に食いつくというのは、ある意味本能的なものです。
人間は常に「恐れと不安」に支配されています。わかりやすい例で言うならば「将来の不安」と「否定される恐怖」です。
世の中で起こる凶悪ニュースは恐怖を煽ります。政治家や芸能人を批判するようなニュースというのは、「自分も批判されるかもしれない」という恐れを植え付けます。
②そもそも自分に必要のない情報だから
人によって必要な情報というは違いますから、一概には言えませんが、ニュースで流されている情報の8割ぐらいは自分にとって不要な情報なのではないでしょうか?
自分とはまったく無関係の芸能人が不倫した情報は果たして必要なのでしょうか?
政治家の不祥事も知ることも必要かもしれませんが、不快に感じたところで何も行動を起こさないのであれば、何の意味もありません。
それらのニュースによって不快感や憤りを感じて損をするのは自分自身です。
事故や殺人のニュースも基本的には自分に関係の無いものばかりです。知り合いが関わっているかもしれないという可能性は否定できませんので、必要だと思うのであれば見ればいいと思いますが、ほとんどの場合自分には無関係のものばかりです。
③受動的に情報を入手することになるから
上記のようにありとあらゆるニュースがテレビで放送されています。その情報は見る側の自分たちではコントロールすることができません。
見る必要のないネガティブなニュースというのは、無意識のうちに潜在意識に蓄積されていきます。
そしてその情報が我々の潜在意識を汚染し、行動にブレーキをかける観念(メンタルブロック)を作ったりします。
それに対しインターネット上のニュースというのは、能動的に入手する形になります。
必要な情報だけ詳細を調べて、不要な情報は見なくても済みます。
僕自身はできる限りネガティブな情報を入れないほうがいいと考えています。
④バイアスがかかっているから
インターネット上のニュースは文字情報です。基本的には事実が伝えられているだけで、その文字情報自体には感情がありません。
テレビで政治家や芸能人のニュースなどを放送している時、キャスターやコメンテーターが自分の意見を言うことがありますが、そこには放送する側の「主観」というフィルターが存在します。そして、繰り返しそういう光景を見ることで、無意識のうちに感情をコントロールされてしまいます。
インターネットの情報を見た時の感情に比べると、テレビ、しかも繰り返し同じニュースを見ることになったのであれば、その感情は5倍にも10倍にもなります。
そして、自分でも自覚のないうちにある価値観を植え付けられ、物事を客観的に判断することができないようになります。
なぜスキャンダルを見るのか?
「人の不幸は密の味」といいますが、僕たちは他人の不幸なニュースを好んでみる習性があります。
先ほどの章でこの反応は「人間の本能」であると言いました。
人間には生存本能というものがあります。自分が生き残るためには、自分が他者よりも強者でなければならない。だからこそ、他人が転落していく姿を見ることは、自分にとって安心を与えてくれる薬のようなものなのです。
だからこそ、テレビで見世物のように他人が批判されている姿をみるというのは、快感なのです。
批判や誹謗中傷の裏にある人間心理
幸福感に満たされた人は人を批判したり、中傷したりすることはありません。
他人を攻撃するということは、その行為によって、自分の方が上位であるということを自分に認識させ、自己重要感を満たしたいからです。
先日の記事でも書きましたが、日本では子供の頃から数多くの否定を受けて大人になっていきます。
その結果、自分で自分のことを認めることができなくなり、世界でもワーストクラスの自己肯定感(全体のわずか9%)の低さにつながってしましました。
誰でも自分のことが好きで、他人から認められたいのです。でも誰も認めてくれない。そうすると人は他人を蹴落とすことで自己重要感を満たそうとします。
現代の日本人が心の豊かさを失った理由
なぜこれほどまでに日本人の心が貧しくなってしまったのか?その理由について考えてみたいと思います。
否定や批判は昔の日本でも存在していたはずです。場合によっては今よりももっとひどかったかもしれません。
にもかかわらず、人々の心はどんどん豊かさを失ってしまっています。
その大きな要因は「インターネットの普及」です。
上述のように自己重要感が低くなると、他者を攻撃することで自分自身を満たそうとします。
しかし、他人を攻撃するということは自分を傷つけることでもあります。
面と向かって誰かの悪口を言えば、自分が嫌われるかもしれない。場合によっては、自分が攻撃の対象にされてしまうかもしれないわけです。
でもインターネットのように匿名で他人を攻撃することができれば、自分が傷つくことはないのです。
だからこそインターネットが普及したことにより、誹謗中傷がありとあらゆる場所で見られるようになってしまったわけです。
そしてその誹謗中傷によって心を傷つけられた人は、精神的豊かさを失ってしまい、今度は自分がゾンビ化して他人を攻撃するようになってしまいます。
海外でも誹謗中傷がないとはいいませんが、日本に比べると圧倒的に少ないです。むしろ他人の発信した情報に対して前向きなコメントが多いです。
これは子供のころから自己重要感を満たされて育ってきたからだと思います。
スキャンダルは他人の失敗パターンをインストールするようなもの
反面教師にするという見方もできるので、必ずしもすべてがそうだというわけではありませんが、基本的には他人の転落を見るというのは、潜在意識に「失敗パターン」を刷り込むことだと思っています。
そしてその失敗によって有名人が批判されている姿を見ると、「自分も失敗すると他人に批判されるのではないか」という恐怖を無意識に感じるようになってしまい、失敗への恐怖が大きくなって、行動ができなくなります。
同じニュースをみるのであれば、成功している人、幸せな人のニュースを見てそこから学ぶ方が圧倒的に自分にとってプラスになります。
世の中には情報があふれています。
だからこそ無駄な情報はできるだけ排除し、自分にとって必要な情報だけを入手する習慣を身に着けないと情報の海に溺れてしまい、自分を見失います。
今日は以上です。
いつもブログを読んでくださりありがとうございます。