僕たちの現実は外的要因によって作られていると思われがちですが、
実は自分の内面が占める割合の方が圧倒的に大きいです。
外的要因はあくまでもただの事実にすぎず、
それをどう解釈するかによって現実ができるからです。
自分のことを卑下して過小評価ばかりしていたら、
大きな結果を生むことは難しいでしょう。
自分のことを大切にせず他人軸で行動していたら、
人生が苦しくなるのは当たり前です。
つまりたいていの場合、
僕たちは自分で自分の人生をダメにしているということです。
要するに「自滅している」ということです。
期待すると自滅する
ブログを始めて3か月も持たずに挫折する人がいますが、
そのほとんどの人が「勝手に期待して自滅する」人々です。
「これだけやったからこれぐらいの結果は出るだろう」
という期待に見合っただけの結果が得られなかったから、
途中で嫌になって投げ出してしまうのです。
ブログなんてコストがほぼかからないのだから、
途中で挫折するとしたら金銭的事情ではなく、
本人の心の問題なわけです。
何事も継続が命です。
途中で投げ出してしまう人は何をやってもうまくいきません。
よけいな期待をしなければ、
自滅しないで済んだわけです。
僕はYoutubeをやっていますが、
毎日更新している割にチャンネル登録者数は多くありません。
でも「やりたいからやってる」だけなので、
特にそのことに対して落胆もしていません。
チャンネル登録者の数を増やすことよりも、
既存のフォロワーの人のエンゲージメントを上げることを意識しています。
もし僕が過度に期待していたら、
一喜一憂を繰り返し、労力に見合っただけの結果が得られないことに対して、
「もうやっていられない」と途中で投げ出していたでしょう。
もちろん結果にこだわることは大切ですが、
過度に期待して執着しすぎてしまうと、
むしろ逆効果になることがあるので注意が必要です。
期待=依存+執着
以前こちらの記事で
「期待とは依存であり執着である」
とお話ししました。
何かに期待するということは、
自分以外の何か(誰か)に依存しているということです。
例えば、「結婚すれば幸せになれる」と思っている人は、
幸せとはパートナー(もしくは結婚という行為)がもたらすものだと思っています。
それは自分の幸せを相手に依存しているということです。
幸せとは自分の心の在り方が決めるものであり、
他人にどうにかしてもらうものではありません。
他人に依存するということは、
自分の人生の良し悪しを他人によってコントロールされるということです。
「○○だったら幸せなのに」
という在り方で生きているから、
いつまでたっても幸せになることができないのです。
「幸せとは自分で作るもの」という自立的姿勢で生きていれば、
自分の人生を他人にコントロールされることはなくなります。
他人に対する期待や執着も小さくなり、
とても軽やかな人生を過ごせるようになります。
「これぐらいやって当然だ」と他人に期待するから、
そのハードルを越えられなかった相手に対して、
怒りを感じてしまうわけです。
その怒りって自分自身に原因があると思いませんか?
結局、勝手に期待して自滅してるだけです。
まとめ
僕たちがコントロールできるのは、
自分の在り方や行動だけであり、
もたらされる結果はコントロールできません。
自分にコントロールできないものに意識を向けると、
ストレスやフラストレーションを感じることが多くなります。
要するに人生が苦しくなるということです。
期待とは自分のコントロールの範疇の外側にあるものに対して持つものです。
自分でコントロールできることに
期待することはまずありません。
つまり、期待するということは、
コントロールできないものに意識をフォーカスして、
自ら人生を苦しくしてしまうということです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。