潜在意識と引き寄せの法則でどん底から人生逆転

カナダで失業、生活保護、人生どん底からの逆転。

思うままに生きよ。そして他人の生き方に口を出すな(イタリアのことわざ)



「思うままに生きよ。そして他人の生き方に口を出すな」

 

これはイタリアのことわざです。

 

日本人の多くはこのことわざの逆を行っているような気がします。

 

自分のやりたいことを我慢し、

常識や世間体を優先する生き方。

 

そして、他人の人生ばかり気にかけて、

自分の人生は二の次になっています。

 

個人主義の国イタリアらしいことわざですが、

このことわざは現代日本人の生きる指針を示しているように感じます。

 

 

人生の決断を誤らない方法とは?

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人生には様々な決断の時が訪れます。

 

進学、就職、結婚など、

これらは人生が大きく変わる転機でもあります。

 

AとBという2つの選択肢があった場合、

果たしてどちらを選べば正解なのでしょうか?

 

多くの人は常識や他人の意見を基準に判断します。

 

例えば、仕事を選ぶ時に、

「やりたいかどうか」よりも「安定」を優先します。

 

その結果、

「やりたくもない仕事を何十年もしなければならない」

という生き地獄を味わうことになります。

 

こういうことを言うと、

 

「やりたい仕事を選んで借金地獄になったらどうするんだ?」

 

と思う人もいるかもしれません。

 

確かに、やりたい仕事を選択して借金地獄に陥ったら、

「安定する仕事を選んでおけばよかった」

と思うに違いありません。

 

人生何が起こるかわかりません。

 

AとBのどちらの選択肢を選んでも、

不運な出来事に見舞われることだってあります。

 

すべては結果論でしかありませんし、

どちらの選択が正解かなんて誰にもわかりません。

 

ならば「A(B)の選択をしておけばよかった」と考えることは無意味と言えます。

 

どちらを選ぶかが重要なのではなく、

自分の選んだ道で幸せになることが正解なのです。

 

Aを選ぼうがBを選ぼうが、

結局のところ幸せになれればそれでいいからです。

 

人生の決断を誤らない方法とは、

「思うままに生きること」です。

 

「やりたいこと」よりも「安定」が重要なら、

それがその人の「生きたい道」です。

 

自分の思うままに生きているのだから、

万が一うまくいかなくても納得できます。

 

「自分が選んだ道だから仕方ない」と。

 

しかし、思うままに生きるよりも、

常識や他人の意見を優先して人生がうまく行かなくなったら、

必ず後悔するはずです。

 

「自分の好きなように生きておけばよかった」と。

 

もしそれが誰かの意見に従ったことで選んだ道なら、

その人を恨むことになるかもしれません。

 

知らなくてもいい情報だらけ

 

あなたはSNSをやっていますか?

 

「YES」と答えた人は、

1日何時間ぐらいSNSをやっているでしょうか?

 

SNSが普及したことにより、

一般人の私生活まで誰でも知れる世の中になりました。

 

SNSは一般的に娯楽として認知されていますが、

その副産物として他人の人生に関心を示す人々が異常に増えてしまいました。

 

「誰がどこへ行って何をしたか」なんて、

果たして知る必要のある情報なのでしょうか?

 

その情報を見て嬉しい気持ちになるならいいですが、

嫉妬したり不快な気持ちになるなら、

その情報は有害でしかありません。

 

誰がどこで何をしようが自分の人生にはまったく関係ありません。

 

顔見知りならまだしも、

会ったこともない赤の他人の人生に、

関心を示す意味ってあるのでしょうか?

 

www.theloablog.com

 

その人が幸せならそれでいいし、

自分が幸せなら他人にとやかく言われる筋合いもありません。

 

自分の生き方を他人に口出しされたら嫌ですよね?

 

ならば「他人の生き方に口を出すな」ということです。

 

多くの人は他人の人生ばかりに関心を示して、

自分の人生のことがおろそかになっています。

 

その不毛な時間を自分の人生を良くするために使ってはいかがでしょうか?

 

ネットやSNSがなかったころはもっと生き方がシンプルでした。

 

無駄な情報が入ってこなかったから、

自分の生き方だけに集中すればよかったからです。

 

それがネットやSNSの普及によって「知らなくてもいい情報」が大量に増えたために、

自分の人生に集中することが難しくなりました。

 

自分が幸せじゃないと他人の幸せを許せなくなる

ネット上には様々な誹謗中傷が飛び交っています。

 

一つ言えることは、誹謗中傷をするような人は、

間違いなく自分の人生に不満を感じているということです。

 

幸せな人は他人を傷つけるようなことは言わないからです。

 

自分の気持ちが満たされていれば、

他人にも優しくなることができます。

 

自分の気持ちが荒んでいれば、

他人に対して攻撃的になるものです。

 

人間誰しも「自分は間違っていない」という思いがあります。

 

幸せそうな人間を攻撃して足を引っ張り、

彼らを不幸へ引きずり下ろすことで、

自分の人生を正当化しようとしているのです。

 

彼らが不幸のどん底へ落ちていくのを見て、

 

「ほら見ろ。やっぱり俺の人生は間違っていなかった」

 

とうまくいかなかった自分の生き方を肯定しようとしているのです。

 

今の日本社会がこれだけギスギスしているのも、

自分の人生に不満だらけで他人の生き方ばかり気にする人が増えたからです。

 

自分が幸せを感じることができないと、

他人の幸せを許すことは難しくなります。

 

「自分がこんなにつらい思いをしてるのに、

お前ばかり幸せになりやがって」

 

と思う人が大半でしょうからね。

 

他人が幸せなことと自分が不幸なことは何の関係もありません。

 

その人が幸せならそれでいいじゃないですか。

 

それにいちいちいちゃもんつけるから、

自分の人生が苦しくなるんです。

 

そんなこと考えるよりも、

自分の人生を良くすることだけを考えればいいんです。

 

まとめ

「他人との比較は不幸の始まり」

 

何度かこのブログでも登場した言葉です。

 

いい意味で他人に無関心になりましょう。

そして自分の思うままに生きればいいと思います。

 

人間いつ死ぬかわかりません。

 

思うままに生きないとこの世を去るときに後悔することになるでしょう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

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