潜在意識と引き寄せの法則でどん底から人生逆転

カナダで失業、生活保護、人生どん底からの逆転。

裁判官にげんこつ

僕たちは日常生活の中で、実に多くのジャッジをしています。

 

このジャッジは反射的に無意識的に行われているものがほとんどで、

意識をしていないと自分がジャッジしていることすら気づきません。

 

ほとんどの場合、僕たちはジャッジをすることで自分の人生を苦しく、生きづらいものにしてしまっています。

 

日本人は他国に比べて寛容性が低い傾向がありますが、

それもこのジャッジ体質が大きく影響しています。

 

 

 

人間が行うジャッジの種類

 

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ジャッジと一口にいっても、おおきくわけて以下の3種類に分類することができます。

 

①好き・嫌いのジャッジ

僕たちは好き嫌いを瞬時に判断することがありますが、あれもジャッジをしていることが原因です。

 

自分の好きなもの、得意なもの、嫌いなもの、苦手なものをしっかりと理解し、

頭の中で吟味して好き嫌いを判断するのであればまだいいですが、

 

反射的に好き嫌いを判断している場合というのは、思い込みによって判断されているケースがほとんどです。

 

その思い込みは実体験に基づいたものもあれば、

周囲から押し付けられた価値観もあります。

 

この思い込みによる瞬時の好き嫌いジャッジは、いわゆる食わず嫌い状態を生むことになってしまい、自分の生きる世界を制限してしまうことになります。

 

例えばあなたが友達にスカイダイビングに誘われたとします。

 

あなたはスカイダイビング=危険と瞬時に判断して、その類の誘いを断ってしまいました。

でも、あなたは過去にスカイダイビングを経験したことはありません。

 

これも完全に思い込みによるジャッジです。

 

確かにスカイダイビングをするのと、その誘いを断って何もしないのでは、後者のほうが危険度は低いでしょう。

 

しかし、未知の世界を拒否していては、自分の世界観が広がることはなく、いつまでたっても今まで生きてきた心地よい世界(=コンフォートゾーン)の外側に出ることはできません。

 

コンフォートゾーンの外側にでると、居心地の悪さを感じたりストレスを感じることがあります。

 

でも、その経験によって自分の世界観が広がり、人生の可能性がぐっと広がることになります。

 

②許せる・許せないのジャッジ

これは自分の潜在意識の中にある観念が大きく影響しています。

真面目な人ほどルールが多く、自分にも他人にも厳しい傾向があります。

 

人間の価値観というのは人それぞれ違います。

にも拘わらず自分の価値観が絶対的に正しいと信じているから、

他人が自分の価値観にない行動をとると、怒りを感じ相手のことを許せなくなってしまいます。

 

僕自身がそうでしたが、相手を裁くことによって自分の正義感の強さに酔いしれていた経験があります。

 

そう、人によっては他人を裁くことに快感を感じる人もいるのです。

 

しかし、そういう生き方をしている限り、他人といつももめごとになってしまうなどの実害も出てきてしまいます。

 

もうその出来事が終わっているのに、いつまでたっても相手のことを考え、怒りを感じ自分の貴重な人生の時間を無駄にしてしまいます。

 

③やるべき・すべきでないのジャッジ

これは②と似ていますが、どちらかというと他人に向けられたジャッジというよりも自分に対して向けられたジャッジを指します。

 

「お金を稼ぐためには、苦労して働かなければならない」

「上司が残業していたら、先に退社すべきでない」

「自分は太っているから痩せなければならない」

 

など。

 

この思考の根源にあるものは、観念というよりは信念と呼ぶほうが適切かもしれません。

 

この「ねばならない」「してはならない」という意識で行動していると、

人生が苦しくなってしまいます。

 

冷静になって考えてみると、人生の中で「ねばならない」、「してはならない」というものはほとんど存在しないことに気づくはずです。

 

つまり、自分の信じている世界があるから、この「ねばならない」、「してはならない」という意識が生まれてきてしまうということです。

 

そして、この意識をもっていると非常に視野が狭くなってしまいます。

 

「○○しなければならない」→○○以外をすべて否定

「○○してはならない」→○○を否定

 

要するにOKとNGの数が増えるということです。

 

OKとNGの数が増えると人生の自由度が下がります。

自分の自由にできることが少ないってすごいストレスですよね。

 

ジャッジがもたらす結果

ジャッジをすることによって自分の人生に秩序を持たせることができます。

言い換えると、清く正しく生きることができるということです。

 

そこに幸せを感じることができるのであれば、ジャッジをすることは大いに結構ですが、そこに苦しさを感じるのであれば、今すぐジャッジをすることをやめるべきです。

 

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結局ジャッジが僕たちの人生にもたらしているものは、制限された世界と他人に対する怒りだけです。

 

同じ電車に乗っただけの赤の他人に、そこまで怒りを感じる必要って本当にあるのでしょうか?

 

二度と会うかどうかもわからないマナーの悪い通行人に、腹を立てることで得することってあるのでしょうか?

 

嫌な気持ちになって結局自分が損するだけです。

 

正義感を振りかざす自分に快感を感じるかもしれませんが、

そういう人間とかかわることによって、自分の身に危険が及ぶリスクも出てきます。

 

別に認める必要はありませんが、裁く必要もないということです。

要するに「放っておけ」ということです。

 

そういう人間に意識を向けてイライラするということは、

他人を自分の感情に土足で上がりこむ許可を与えているようなものです。

 

他人を裁くということは、(同じ行為をした)自分も裁かないといけなくなるということです。

 

子供に「きちんと片付けしなさい」、「いつまでもテレビ見てるんじゃない」と注意している親は、きちんと片付けできない自分やテレビをダラダラとみている自分に罪悪感を感じることになってしまいますよね。

 

それと同じことです。

 

他人を裁けば裁くほど、自分を許せなくなっていきます。

 

僕たちの人生が苦しいのは、「ネガティブなものに意識を向けているから」というだけではありません。

このジャッジによって自分の人生から自由を奪い、自ら人生を苦しいものにしてしまっているのも原因のひとつです。

 

裁判官にげんこつ

僕自身もいまだに他人や自分を裁いてしまいそうになる瞬間があります。

 

そういう時は心の中にいる裁判官にげんこつをかまして、首根っこ捕まえて後ろに引っ張り下げるようにしています。

 

裁判官の仕事って罪人を罰することだけが仕事ではありません。

その人の状況を理解し、やり直すチャンスを与えることも裁判官の仕事です。

 

でも、僕たちの中にいる裁判官は非常に冷酷で厳しいです。

瞬時に判決を下し、ほとんどのケースで他人(自分)を罰する(許さない)という裁きを下します。

 

僕たちは「正しく生きることこそ美しいこと」といった価値観を知らず知らずのうちに植え付けられています。

 

でも、よく考えてみてください。

 

  • 正しさに固執するあまり他人を許すことができず、いつも何かに怒りを感じている人
  • 自分に厳しく、心に余裕がなくて他人を思いやることができない人
  • 自分を許し自分を認め、他人のことも否定しない人

 

どの人が一番美しいと思いますか?

 

「清く正しく生きなければならない」というのもジャッジです。

しかもそれは絶対正義ではなく、自分がただそのように信じているだけです。

 

ジャッジばかりしていると、本当に狭い世界でしか生きることができなくなります。

心の中の裁判官が出てきそうになったら、げんこつをかまして引っ込めてみてください。

 

必ず人生の自由度があがり、軽やかな人生になることをお約束します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

P.S. 「裁いてはならない」というのもひとつのジャッジですから、その考え方に縛られすぎないように気を付けてください。