あなたは自分のことをどんな人間だと思いますか?
- 背が高い
- 足が速い
- 頭がいい
僕たちは自分のことを「○○である」と勝手に定義していますが、
その定義というのは比較対象によって変化します。
僕の両親からすれば僕は息子ですが、
僕の子供からすれば僕は父親です。
同じように自分よりも頭がいい人と比べれば自分は「頭が良くない人」になるし、
自分よりも「頭が良くない人」と比較すると自分は「頭がいい人」になります。
これは認知科学の話になりますが、
「人間は何者でもないし何者にでもなれる」
と言われています。
「自分は足が速い」と定義づけできるのは、
必ず何かの比較対象が存在するからです。
自己否定してしまう理由
冒頭でお話しした通り僕もあなたも何者でもありません。
比較対象によって自分のアイデンティティが変化します。
もしあなたが自己否定ばかりしていつも自分を責めているなら、
それはあなたが自分に対して悪い定義づけをしているからです。
「私は仕事ができない」
「私は見た目がよくない」
「私は話すのが苦手」
こういう否定的な声を自分自身に掛けてしまうのは、
自分のことをそのように定義づけしてしまっているからに他なりません。
例えば、「仕事ができない」という特徴だって、
誰かと比べたからそう思うようになったわけです。
比較対象が存在しなければ、
そもそも自分が仕事ができるのかできないのかも判断できません。
でもその定義づけに果たしてどこまで意味があるのでしょうか?
鶏口牛後ではありませんが、
エリート集団で最下位の人も一般集団ではトップになることができます。
エリート集団に属している間は「自分はできない人間だ」と感じ、
一般集団に属していると「自分はできる人間だ」と思い込む。
ようするに、「できる人間」でもあって「できない人間」でもあるということです。
逆に言うと、「どっちでもない」ということです。
つまり、あなたが自分のことを自己否定して責めてしまうのは、
あなたが「自分のことをそう思っているから」というだけの話です。
他人の意見は他人の物差し
多くの場合、自己否定に陥ってしまうのは、
他人の意見(批判)を聞いたときです。
「お前は本当に○○だな」
と自分に対して否定的な言葉をかけられると、
「ああ、自分は○○なんだ」と思い込んでしまい、
自分自身を責めてしまいます。
しかし、その指摘はあくまでも他人の意見にすぎず、
ある意味何の参考にもならない意見でもあります。
同じものを見ても「良かった」言う人もいれば、
「全然良くなかった」という人もいます。
それはその「もの」に原因があるのではなく、
受け取り側の受け取り方に原因があるわけです。
心が豊かな人は何を見ても肯定的に解釈します。
心が貧しい人は何を見ても否定的に解釈します。
どちらが正解ということはなく、
ただその人が「そう思っただけ」だということです。
だから例えば、あなたが上司に人格を否定されるぐらいボロカスに言われたとしても、
それはその上司がそういう受け取り方しかできない人間だったというだけの話です。
人間誰しも素晴らしい一面を持っています。
しかし、大抵の場合は自分の足りていない部分だけにフォーカスして、
自分のことを定義してしまいます。
他人と比較するわけでもなく、
足りていない部分だけに焦点を当てるわけでもなく、
自分が思いたいように思えばいいのです。
過去ベースで自分のことを評価しない
何かに挑戦するとき多くの人は自分の過去の経験を踏まえて
「できるかどうか」を判断します。
そして「今までできなかった自分にできるわけがない」と、
行動すら起こさずに諦めてしまいます。
過去の経験に焦点を当ててしまうと、
目標達成や願望実現をすることができなくなります。
もし過去の自分にできることなら、
もうとっくに達成しているはずですからね。
仮に今の自分に能力や知識が足りていないのであれば、
これから身に付けていけばいいだけの話です。
未来視点で物事を考えるのです。
今の自分には実現できなくても、1年後、5年後の自分には実現できるかもしれません。
多くの人が願望実現できない理由は、
「自分で自分に制限をかけてしまっている」だけです。
いま成功している人は、必ずしも能力が高かったから成功できたのではありません。
自分に対するブレーキをかけずに、
「絶対にできる」と自分のことを信じていたから、
偉業を成し遂げることができただけです。
結局「自分自身がどう思うか」がすべてだということです。
つまり「思考は現実化する」ということです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。