先日家族でビーチへでかけたときのこと。
僕たちが陣取っているすぐ近くで、
若い男女がボール遊びを始めました。
僕たちのシートの上には食べ物が乗っています。
ボールが時折こちらに飛んできて、
そのはずみでシートの上に砂が乗ることがありました。
妻は「こんなところでボール遊びしないでほしいわ」と、
彼らの行動に不満そうな様子でした。
こういうことって日常的によくありますよね。
必要以上に他人のことを気にしてしまう瞬間です。
例えば、電車の中で騒いでいる人たちがいたら、
その人たちのことばかり考えてしまうことってありませんか?
その人々が静かになっても、
また騒ぎ出すのではないかと常に意識を向けている状態です。
ひどい場合だともう終わったことにもかかわらず、
その出来事を蒸し返して自ら不快な気分を呼び起こしたりします。
他人に無関心になれ
SNSの普及により他人に意識を向ける機会が増えました。
自分に直接関わりがある人ならまだしも、
自分とまったく接点のない人に対しても、
嫌な気分を感じている人も少なくありません。
有名人のスキャンダルも同じです。
自分の人生になんの関係もない赤の他人なのに、
なぜか自分事のように感情を乱す人がいます。
他人にばかり関心を示している人は、
意識が自分の外側に向いている人です。
意識が外側に向いている時間が長ければ長いほど、
自分のことを考える時間は短くなります。
要するに、自分に無関心になる時間が増えるということです。
人を嫌いになるのは自分に原因がある
嫌いな人の言動は気になるものです。
相手に対して「嫌い」という感情を持っていると、
その人の良い部分が盲点となって見えなくなり、
悪い所ばかりが目に付くようになります。
嫌いバイアスが働くことによって、
1つのマイナスが何倍にも大きく感じるようになります。
誰かを嫌いになる理由は相手にあると思いがちですが、
実はすべての原因は自分自身の中にあります。
同じ人に対して「好き」という人もいれば「嫌い」という人もいます。
対象物は同じなのに見る角度によって見え方が違うのです。
もしくは違うメガネをかけて見ていることが原因の場合もあります。
自分の中にその人のことを嫌いになる「種」があるから、
その人に対して「嫌い」という感情を抱くのです。
他人に無関心になれば「嫌い」という感情も感じなくなります。
「マナーの悪い人が嫌い」という種を持っていて、
そういう人々に遭遇したときも「ま、別にいっか」ぐらい無関心になれば、
不快感を感じることは少なくなります。
その人のことばかり考えて裁こうとするから、
はらわたが煮えくり返るのです。
自分大好きが一番幸せ
他人に意識を向けている時間があるなら、
その時間を自分の人生を良くするために使ってみてください。
常に自分のことだけを考えるのです。
自分のことだけを考えるようになると、
意識が内側に向けられるようになります。
そうすると、他人に対して無関心になることができ、
他人の言動に不快感を感じることもなくなります。
自分のことだけ考えるというのは、
他人を差し置いて自分だけ得すればいいという意味ではありません。
自分のことをもっと気にかけて、
常に内面の自分を観察するということです。
そして、自分のことを大切にするということです。
まとめ
自分にとって許せない人が現れたとき、
それがたとえただの通行人でも腹を立てることがあります。
雑踏の中にいる人の存在など気にしなければ認知することはありません。
認知していないということは存在していないのと同じです。
しかし不思議なことに一度気にし始めると、
それが例え何千人という人数の中であったとしても、
その人のことが目に付くようになるのです。
電車の中で大騒ぎしている人がいたとしても、
あなたが大音量で音楽を聴いていてその存在を認知しなけば、
彼らはあなたの現実に存在しないことになります。
他人に無関心になると嫌な存在も消すことができるのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。