僕は人一倍心配性で、何でもネガティブに考えてしまう性格。
起こりもしない出来事を頭の中で想像して、自分で勝手に恐怖を作り出してしまうようなところがありました。
勝手な思い込みで1を10にしてしまうタイプです。
そのため、いつも不安や恐怖に支配されているような状態で過ごしていました。
恐怖という感情そのものは決して悪ではありませんが、この感情と上手に付き合っていかないと、人生を恐怖によってコントロールされることになります。
恐怖とは本来感謝すべき存在
恐怖というのは僕たちを守ってくれる感情でもあります。
恐怖という感情を人間が持ち合わせていなかったら、早死にする人が大量にいるだろうし、社会の秩序を保つのも難しかったのではないかと思います。
僕が「恐怖そのものは悪いものではない」と言ったのはそういうこと。
ただ、この感情と上手に付き合わないと、時として自分の人生をマイナスへと導く悪の存在になってしまうことがあるのです。
恐怖がもたらす弊害
僕の仕事は起業を目指す個人のビジネスサポート。
彼らの相談で一番多いのが「恐怖で一歩踏み出すことができない」というものです。
起業そのものに恐怖を感じるだけでなく、「Youtube発信が怖い」や「自分の商品をネットで販売するのが怖い」といった様々な恐怖があります。
その恐怖を乗り越え一歩踏み出せる人は少なく、ほとんどの人は恐怖に飲み込まれ「行動しない」という選択をします。
行動しなければ傷つくことはありません。
しかし同時にチャンスを逃すことになってしまいます。
行動しなければ成功する確率はゼロパーセントです。
恐怖を生むものは「抵抗」
リアルタイムで感じる恐怖(高い所にいるとか目の前に犯罪者がいるなど)を除く場合、恐怖の根源となるものは「抵抗」です。
抵抗とは「○○になったら嫌だ」と現実に抗うこと。
例えばあなたが新車を買ったとします。
外出先で駐車場に停めた後車を離れ、ふとこんなことを思います。
「誰かにいたずらされていないだろうか?」
「他の車にぶつけられていないだろうか?」
これは別の言い方をすると、「車にいたずらされたらイヤだ」、「ぶつけられたらイヤだ」と抵抗していることになります。
もし「別にいいかな」ぐらいにしか感じていなければ、この恐怖は感じなかったはずです。
執着するから抵抗する
なぜ抵抗してしまうかというと、その物事に対して執着しているからです。
これは人間関係も同じ。
「家族と離れ離れになりたくない」という強い恐怖を感じるのは、家族のことをとても大切にしているからです。
言い換えると執着しているからです。
もし家族のことを「どうでもいい」としか思っていなければ、別に離れ離れになってもなんとも思わないでしょう。
執着すると失ったり傷つけられるのが怖くなります。
あなたが大事にしている新品のアイテムがあるとして、それを知り合いに貸すことになったら不安で不安で仕方ないのではないでしょうか?
それはそのアイテムをとても大切にしているからです。
執着を手放せば抵抗もしなくなります。
受け入れると恐怖は消える
抵抗することによって恐怖が生まれるのであれば、その真逆をすれば恐怖は消えることになります。
例えば、あなたが借金におびえているとします。
しかし、その事実を受け入れ「なんとかなる」と思うことができれば、その恐怖は薄れていくはずです。
「将来が不安」という人は多いですが、今そんなこと考えたって仕方ないし、「そうなったらその時なんとかすればいい」と受け入れることができれば怖くなくなります。
もし事故で片腕を失うことになったとしたら、多くの人にとってそれは絶望のはずです。
それは「片腕を失うのは嫌だ」という強い抵抗があるからです。
しかし、世の中には片腕しかなくても明るい人生を送っている人はたくさんいるし、健常者よりも立派な功績を残す人もいます。
つまり、必ずしもそれは絶望とは呼べないということです。
「片腕がなくてよかったです」という人もいるぐらいですからね。
もし自分がそうなったとしても、前向きに生きることができることがわかれば、その事実を受け入れる覚悟ができるはず。
受け入れる覚悟ができれば恐怖も和らいでいくはずです。
さいごに
恐怖というのは実体がありません。
その正体は僕たちが勝手に生み出している幻想。
でもそのことを冷静に理解できる人は少なく、僕たちはその強烈な感情に飲み込まれ翻弄されてしまうのです。
感情コントロールは訓練で身に着けることができます。
自分の感情をコントロールできなければ、自分の思い通りの人生を作り上げるのは非常に困難であると言わざるを得ません。