潜在意識と引き寄せの法則でどん底から人生逆転

カナダで失業、生活保護、人生どん底からの逆転。

親の役目は邪魔をしないこと

今回の記事はかなり僕の主観が入っている内容になります。

 

僕は子育ての専門家でもないし自分自身も子育て初心者なので、今日お話しする内容はあくまでも僕個人の見解ということで、参考程度にとどめておいていただいた方がよろしいかと思います。

 

善悪のジャッジが多すぎる日本

日本の子供は子供のころからたくさんの否定を受けて育ちます。そのため、自己肯定感が低く自分に自信のない大人が世の中に溢れています。

 

日本人の子供が、能力が低いから否定を受けて育つかと言われればそういうわけではありません。

日本人は世界的に見ても優秀な部類に入る人種だと思います。

 

ではなぜたくさんの否定を受けるのか?

 

否定を受けるということは、正解と不正解があるということです。

言い換えれば善悪のジャッジがあるということです。

 

つまり、我々がたくさんの否定を受けてきた背景には、数多くの善悪の価値観があるということです。

 

「あれはダメ」、「これもダメ」、「○○しなければならない」、「○○すべきだ」といった数々の価値観に縛られ、そこから少しでも逸脱してしまうと親なり世間から否定を受けてしまうというのが、日本社会の特徴です。

 

ダメの数が多ければ多いほど、否定を受ける確率も回数も増えます。

 

自由を失った人の心は余裕を失い、次第に自分自身を否定するようになります。

 

時代の移り変わりと変化しない価値観

なぜこういうことが起こるかと言えば、時代は変化しているのに価値観が変化していないからです。

 

日本が戦後の焼け野原から高度経済成長を果たし、世界トップクラスの経済大国になったのはその真面目さと勤勉さが関係しています。

 

定かではありませんが、日本の教育システムは「言われたことをただ黙ってこなすサラリーマンを量産する」ためにGHQによって作られた一種の洗脳教育であると聞いたことがあります。

 

確かに自分自身の経験を振り返ってみても、子供の頃から学校で様々なルールで縛られ、大学を出て良い会社に就職するのが是とされている風潮があったように思います。

 

絵が得意な子もいれば、歌が得意な子、運動が得意な子もいます。

しかし、そういった個性を尊重するのではなく、とにかく「勉強ができる」ということだけに絶対的な価値が置かれていました。

 

経済が成熟していない時代はそれでも通用していたし、そのやり方が正しかったから日本は目覚ましい経済発展を遂げたのだと思います。

 

 でもそのやり方が通用していたのは、まだ物質的に満たされていなかった時代の話です。

当時は経済的に不自由をすることが多かったから、自分の(ある意味)人生を犠牲にしてでも、社会のルールに則り王道を進むだけの価値がありました。

当時は一般家庭の生活水準は貧しく、経済的豊かさを得ることこそが最優先すべき絶対的な価値だったからだと考えられます。

 

しかし、経済が発展し一般家庭でも十分豊かな暮らしができるようになった現代では、物質的豊かさより精神的豊かさが求められる時代となりました。

そこまで自分を犠牲にして生きなくても、それなりに裕福な暮らしができるようになったからです。

 

日本人の心が貧しくなってしまったのは、時代が変わったのに考え方が変わっていないからです。

 

もう経済的豊かさは求められていないのに、子供の教育は昔と変わっていないように思います。

 

昔はたくさんのルールで縛り我慢を強いることで、社会が敷いたレールの上を走るだけでそれなりにいい暮らしができていました。だからこそ、我慢をするだけの価値があったのです。

 

でも今はもう十分豊かな時代だから、我慢をする必要もなくなったわけです。

 

人はある程度経済的に豊かになると、今度は心の豊かさを求めるようになります。

 

時代の流れに沿うのであれば、心が豊かになるような教育をすべきなのに、教育システムは昔のまま変わらない経済的豊かさを満たすための教育です。

 

心が豊かになる教育とは、その子の個性を伸ばし、好きなことを自由にやらせる教育のことです。

 

しかし、相変わらず自由がない「勉強ができることこそ善である」教育のままであるように思えてなりません。

 

勉強ができなければ「ダメな奴」だと否定される。

常識通りに生きることができない人間も否定される。

 

だから、どんどん心がすさんでくる日本人が増えてきたのだと思います。

 

梯子を外された世代

僕の世代が子供の頃は、「いい大学に行って大企業で働くこと」が絶対的に正しいと言われていた時代でした。

 

僕たちの親の世代もそのように育てられたから、そう考えるのも無理はありません。

 

しかし、今の社会を見てもわかる通り終身雇用制度は崩壊し、年金制度も破綻しています。

大企業に勤めたから一生安泰という時代は終わったのです。

 

「大企業に入ることこそすべて」という価値観を信じて、自分のやりたいことを犠牲にして生きてきた人たちは、梯子を外された気分だと思います。

 

ちなみにロバートキヨサキの本(15年前)にも、「いい大学に行って大企業に入るという生き方は産業時代の生き方で、すでにその時代は終焉を迎えている」という記述があります。

 

親の役目は邪魔をしないこと

僕たちが持っている価値観というのは、自分の親や周囲の大人たちの影響を大きくうけています。

 

つまり、その子の人生は親の関わり方に大きく依存しているといっても過言ではありません。

 

「子供は親の言うことを聞くもの」という考え方もそもそも正しいとは言えません。

親子というのは、肉体レベルでは肉親関係だったとしても、魂レベルではまったく別の存在です。

 

花の種を植えて水を上げれば勝手に花を咲かせるように、放っておいても子供は勝手に育ちます。

 

道を踏み外さないように最低限のことだけ教えてあげれば、あとは子供の自由にさせてあげればいいと思います。

 

親が管理しすぎると依存的な大人に成長してしまいます。

 

自由にさせてあげるかわりに、自己責任で生きることを教えてあげればいいと思います。

 

大企業で働くよりもニートになるほうが幸せな人もいます。

だったらニートにさせてあげればいいと思います。

 

ただ、それで苦労することがあってもすべて自己責任ということを教えていれば、本当にヤバくなったら働かざるを得なくなります。

変に依存させてしまうくせに「ニートはダメな奴」だと否定をするから、どんどん追い込まれて行ってしまうのではと思います。

 

「勉強ができる人が偉い」とか「大企業で働くことが正しい」という価値観を持っている人の子供は、かなり高い確率で同じ価値観を持つことになります。

 

ということは時代は違えど、親と同じ人生を歩む可能性が非常に高いことになります。

 

別にそれがダメだというわけではありません。

 

ただ、そういう価値観を押し付けずとも、子供は勝手に「ああいう大人になりたい(なりたくない)」と思うものです。

 

子供の夢を親がつぶしてしまうというのは良くあることです。

親は「(経済的に)苦労してほしくない」と思って子供の夢を否定し、(まやかしの)安定の道を進ませようとします。

 

でも、その道に進んで仮に経済的に苦労することがなかったとしても、それが必ずしも幸せであるとは言えません。

 

子供の夢を否定するということは、子供のことを信頼していないということでもあります。

 

わざわざ夢を否定せずとも、ダメだと思ったら自らその夢を諦めます。

 

親の役目は、子供を信頼し自由に生きさせてあげることではないかと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。