「コミュニケーションはキャッチボールのようなもの」
とはよく言ったもので、まさに本質を突いた言葉だと思います。
円滑なコミュニケーションとは、
ピッチャーがキャッチャーの投げてほしい場所に投げることと、
キャッチャーはピッチャーが暴投しても文句を言わないことです。
要するに相手のことを理解してあげるということです。
人によってピッチャーとキャッチャーという役割が決まっているわけではなく、
発信側と受信側の立場が入れ替わることにより役割が変化します。
コミュニケーションが一番活発に行われるのは、
最も長い時間を共有する家族です。
特に血のつながっていない夫婦というのは、
コミュニケーションの摩擦が起こりやすいです。
年齢や環境の変化とともに気持ちのすれ違いが大きくなり、
形式上のパートナーになってしまうカップルも少なくありません。
コミュニケーションを取る際にキャッチボールを意識すれば、
少しは相手の立場になって考えることができるのかもしれません。
結婚初期
お互いに愛情のある時期です。
ピッチャーはできる限りキャッチャーの示すところに投げようとするし、
キャッチャーはピッチャーのコントロールが狂っても文句を言いません。
「いいよ。気にしないで」と相手を気遣うことができる時期です。
結婚数年後または出産後
恋愛感情が薄れるとともにただの同居人に変わる時期です。
年月の経過による場合もあれば、
出産による環境の変化の場合もあります。
恋愛感情があるときは相手の良い所しか見えませんでしたが、
恋愛感情が消えることによりスコトーマが外れて相手の本性が見えます。
よく「こんな人だとは思わなかった」と結婚後しばらくしてから嘆く人がいますが、
それは相手が結婚後に豹変したのではなく、
もともとそういう人だったけど気づかなかった可能性があります。
この時期がもっともコミュニケーションの摩擦が起きやすい時期です。
相手に対する遠慮もなくなってくるので、
ピッチャーは自分の好きなところに投げるし、
キャッチャーは自分の投げてほしいところに投げてくれないと怒ります。
ピッチャーは「ちゃんと取らないお前が悪い」とキャッチャーを責めるし、
キャッチャーは「示した場所にきちんと投げないあんたが悪い」とピッチャーを責めます。
お互いのエゴとエゴがぶつかりあい、
仲間であるはずの存在がお互いを攻撃しあうようになります。
相手に否定されたことにより落ち込んだり、
セルフイメージが下がるなどして人生が悪循環に陥ります。
倦怠期
もはやキャッチボールすらしません(笑)。
たまにどちらかがピッチャーになりますが、
投げたボールは返ってきません。
抽象度を上げて考える
だいたい夫婦でもめ事が起こるときは、
「自分」という抽象度で考えていることが多いです。
自分という視点で考えてしまうと、
どうしてもイライラしてしまうことが増えます。
抽象度を上げて「家族」という視点で考えることができれば、
もう少しキャッチボールがスムーズにいくはずです。
夫婦間のコミュニケーションに限らず、
人間関係でストレスを感じる原因は抽象度が低いからです。
自分という最も低い抽象度で物事を見ると、
自分の思い通りにならないことにいら立ちを感じることになります。
それって必ずしも相手が悪いからとは言い切れませんよね。
自分の受け取り方にも問題があるからそう思うわけです。
他人の幸せを喜べる人になる
他人の幸せを喜べる人は抽象度が高いです。
「他人の幸せを喜べる人になりましょう」と言うと、
綺麗ごとのように聞こえるかもしれません。
しかし、そうすることによって自分にもメリットがあるのです。
まず一つは自分目線を離れることができるので、
苛立ちを感じる機会が減ります。
もう一つは他人の幸せを喜べる人になると、
人生の中に喜びの数が増えることです。
自分の幸せしか喜べない人は、
喜びの数は少ないですよね。
自分のためでいいので「他人の幸せを喜べる人」になってみてください。
まとめ
人類が他人を理解できるようになったら、
この世の中から争いごとはなくなるでしょう。
ピッチャーはキャッチャーの構えている場所を見ようとしないし、
キャッチャーはピッチャーの失投を受け取ろうとはしません。
お互いが好き勝手やって相手を自分の思い通りにしようと思うから、
そこに摩擦が生まれるのだと思います。
コロナウィルスは人類が一つになるいいきっかけだったのですが...。
最後まで読んでいただきありがとうございます。