「人間関係」は、お金と健康に並ぶ3大悩み事の一つです。
お金と健康は自分の力である程度コントロールが可能ですが、
人間関係については、他者が介在するため完全にコントロールをすることができません。
そのため、この3つの中ではもっとも取り扱いが難しいと言うことができます。
人間関係にひどく苦しんでいる人がいる一方で、非常に良好な人間関係を築いていて人間関係にまったく悩みを抱えていない人もいます。
それは後者の人が対人スキルに長けていたり、環境に恵まれていることだけが原因ではありません。
人間関係にストレスを感じている人はたくさんいます。
今日は「人間関係で感じるストレスなどない」というテーマで記事を書いていきたいと思います。
他人に期待しすぎ
人間関係にストレスを感じる一番の原因は、「他人に期待しすぎていること」です。
言い換えると、他人に対して「自分の思い通りに行動してほしいと思っている」ということです。
人間関係に限らず、自分ではコントロールできないものを自分の思い通りにしようとすると、我々はストレスを感じます。
他人が自分の思い通りに動かないからイライラするわけであって、
その人に期待しなければストレスなど感じようがありません。
仕事を振った部下の仕事ぶりにイライラするのは、
「これぐらいできて当たり前」という期待があるからです。
レストランで長い時間待たされてイライラするのは、
「自分は客なんだから大切に扱われて当たり前」という期待があるからです。
そもそも相手に対して期待をしなければ、こういったストレスは生まれません。
そして、相手がしかるべき行動をとったときには、「予想以上のことをしてくれた」と思えるようになります(相手は当たり前のことをしただけですが)。
自分の価値観を押し付けない
人はそれぞれ異なる価値観を持っています。
そして、誰でも「自分こそ正しい」と無意識に思っています。
相手に対して自分の価値観を押し付けるから、
そこに摩擦が生まれ争いに発展するのです。
誰の言葉か忘れましたが、「正義の反対は悪ではありません。正義の反対はもう一つの正義です」という言葉があります。
日本人は調和を重んじる国民性なので、秩序を保つための様々なルールが存在します。
そのため、他の国の人々に比べて圧倒的に「すべき」と「ねばならない」が多いです。
僕たちが「常識」だと思っていることも、一歩外の国に出れば「非常識」になることもあります。
つまり、万人に共通する「正義」など存在せず、僕たちは「(自分にとっての)常識こそ正しい」という一種の洗脳状態にあるというだけです。
僕たちは自分の人生にとって不要な観念(思い込み)を持ちすぎています。
他人の言動を顔面キャッチしない
日本人は良くも悪くも真面目すぎるところがあり、それが原因で人間関係に思い悩んでしまう傾向があります。
- 怒られたから落ち込んだ
- バカにされたから腹が立った
- 批判されたから傷ついた
これらはすべて相手側に原因があるように思いがちですが、
実はその原因は相手ではなく自分にあります。
同じ言葉をかけられてヘコむ人もいれば、まったく気にしない人もいます。
背が低くて悩んでいる人に「チビ」と言えば、怒るなり落ち込むなりの反応を見せるはずですが、背が高い人に「チビ」と言っても何も響きません。
つまり、言動そのものではなく、受け取り側の考え方に原因があるということです。
自分に自信がある人は他人から何を言われても動じませんよね?
それは、「他人が何と言おうが自分は素晴らしい人間である」と心の底から信じているからに他なりません。
多くの人は他人の言動を顔面キャッチしすぎです。
要するに、他人の言い分を真に受けすぎということです。
上司に理不尽に怒鳴られたときに怒ったり落ち込んだりするのは、
自分よりも上司の言うことを信じているからです。
ほとんどの人は自分に自信がありません。
だから、他人から「お前は仕事ができない」と言われると、
「自分は仕事ができない人間なんだ」と信じるようになってしまいます。
でも他人の評価ほど曖昧なものはありません。
同じものを見て「良い」と言う人もいれば「悪い」と言う人もいます。
他人の言動にいちいち心がブレてしまうのは、自分のことを信頼していないからです。
自分のことを100%信頼していれば、上司に理不尽に怒鳴られても「何言ってんだこの人」ぐらいにしか感じなくなります。
他人の言動を顔面キャッチして真に受けてしまうから、人間関係にストレスが生まれるのです。
すべての種は自分の中にある
人間関係にストレスを感じることの一番の問題点は、「相手に原因があると思い込んでいること」です。
つまり、「自分がストレスを感じるのは相手のせいであって自分に非はない」と思っているということです。
確かにそれも間違いではありませんが、少し補足説明が必要になります。
正確に言うと、相手はただの「きっかけ」であって、本当の「原因」は自分の中にあります。
表現を置き換えると、相手が「火種」で自分の中にある原因が「火薬」です。
燃えないものにどれだけ火をつけても、それが燃えることはありません。
同じように、他人がどんな言動をしようと自分の中に種(原因)がなければ、
その言動によって心が乱れてしまうことはありません。
先ほどの例を再度利用して説明します。
この背が低い人は、自分の心の中に「私はチビである」というコンプレックスを抱えていたとします。
このコンプレックスが火薬で、他人に浴びせられた「チビ」という言葉が火種です。
火薬に火をつけると爆発します。当たり前ですね。
しかし、この他人は「着火する」というきっかけを作っただけで、
爆発する原因(火薬)を持っていたのは自分自身です。
もしこのコンプレックスを持っていなければ、どんなに着火されても爆発することはありません。
したがって、先ほどの言葉の繰り返しになりますが、
相手はただのきっかけで、原因は自分の中にあるということが言えます。
パートナーの家事が雑なことに対してイラっとするのは、
自分の中に「家事は完璧にこなさなければならない」という種があるからです。
そのパートナーはあなたを怒らせるただのきっかけにすぎず、
あなたがその種を手放したら、いちいちパートナーにイライラすることもなくなります。
地雷を踏んだのはその人ですが、地雷を埋めたのはあなた自身だということです。
爆発するのが嫌なら地雷を埋めなければいいだけの話です。
まとめ
我々が人間関係にストレスを感じるのは、
- 他人に期待している
- 他人に自分の価値観(正義)を押し付ける
- 他人の言動を顔面キャッチする
- 自分の中にストレスの種を持っている
ことが原因です。
これらはすべて自分自身でコントロールできることばかりです。
そして、他人ではなく自分自身が原因になっていることばかりです。
自分が原因であるならば、そもそも人間関係にストレスを感じること自体矛盾しています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。