今日のお話の一部は以下の書籍より抜粋しています。
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シンクロニシティという言葉をご存じでしょうか?
シンクロニシティとは、日本語に訳すと「共時性」という言葉で表現されます。
その意味するところは「意味のある偶然の一致」です。
長い間会っていない同級生のことを考えながら街を歩いていると、
たまたまその人に出くわすといったことが「意味ある偶然の一致」です。
シンクロニシティが起こるとき、
それは人生を変えるような運命的な出来事であることが多いです。
僕のシンクロニシティ体験
たまたま読んだ本で斎藤一人さんがお弟子さんに「ジョセフ・マーフィーの本を読みなさい」と言っているエピソードを見つけ、僕もネットでみつけたマーフィーの本を読み漁りました。
マーフィーの本には「潜在意識」について書かれていました。
そして潜在意識について調べているうちに、
引き寄せの法則というフレーズをやたら見かけるようになりました。
そして引き寄せの法則つながりで、どんどん人脈が広がっていきました。
人脈といっても直接面識があるわけではありませんが。
Aさんの動画を見ているとBさんの話が出てきて、
Bさんの情報を調べているとCさんが登場します。
そしてDさん、Eさんとつながっていくのですが、
実はこのDさんEさんは、AさんBさんとつながっていたりします。
彼らから得た様々な情報のおかげでどん底から這い上がることができ、
自分の好きなことをやって生きていくことができました。
この一連の出来事のおかげで、僕の人生は大きく変わりました。
ちなみにどん底に落ちる前、まったく引き寄せの法則など知らない時に買った本に1冊だけ「引き寄せ」というフレーズが付いた本がありました。
この本やたくさんの人たちとの出会いもシンクロニシティではないかと思っています。
シンクロニシティを起こす方法
シンクロニシティを起こすには、自分の内面の一番深い部分にある「中心」とつながることが最も有効であると言われています。
中心に定まるためにはハートを感じることが重要であると、
上述の著書の中で説明されています。
そして、すでに手に入れているものに感謝をすると、
内側が受容的になりシンクロニシティの中で生きることができるそうです。
この本には書かれていませんが、
「感謝は宇宙とつながることができる方法」だと言われています。
内側の世界で生きているとき、そこには善悪もプラスマイナスも存在しません。
だから、他人や出来事を良し悪しでジャッジすることもなくなります。
ジャッジをすると受け取ることができなくなる
物事を善悪でジャッジすると受け取りができなくなり、
シンクロニシティが起きづらくなります。
思い込みが激しい人は注意が必要です。
例えば「宗教」と聞いただけで拒否反応を示す人は多いですね。
うさんくさいものを「宗教みたい」というメタファーをすることから、
いかに宗教をいかがわしいものであると考えている人が多いかがわかります。
もし宗教=いかがわしいものと考えているならば、
その人は宗教に関するありとあらゆる情報をシャットアウトすることになります。
そこに「自分の人生を変える大きな転機があるかもしれないのに」です。
僕は宗教を肯定も否定もしませんが、
この手の思い込みは人生の選択肢を制限してしまうので、
非常にもったいないと思っています。
昔の僕は非科学的なものを否定する人間でした。
しかし、なぜかわかりませんが引き寄せの法則だけは「この法則は本物だ」と思ったのです。
もし僕がスピリチュアルを全否定し、「引き寄せの法則なんてインチキだ」と思っていたら、僕の人生を変える一連の出来事と出会うことはなかったでしょう。
人間万事塞翁が馬
中心とつながり内側の世界で生きている人と、
外側の世界で生きて出来事に振り回されている人を描写したエピソードに、
「人間万事塞翁が馬」があります。
ある村に老人が住んでいました。
その老人には息子がいて、息子は美しい馬を飼っていました。
ある日その美しい馬を買いたいという人が現れ、
「これは大切な友人の馬なので」と老人はその申し出を断ります。
それからしばらくした後、馬は厩から逃げていなくなってしまいます。
近所の人は「あの時馬を売っておけばよかったのに。バカだね」と老人をバカにします。
それに対し老人はこう答えました。
「これが不運かどうかまだ決めない方がいい」
その後、馬は戻ってきました。
しかも3頭もの野生の馬を連れて。
近所の人たちは言います。
「お前さんが正しかった。あのとき馬を売らなくてよかった。なんて幸運なんだ」
しかし、老人はこう答えたのです。
「これが幸運かどうかまだ決めなさるな」
次に老人の息子が野生馬を調教しているときに落馬して足の骨を折ってしまいます。
近所の人は、
「なんて不運なことだ。お前さんの言うとおりだ」
と言います。
しかし、老人は「どうかな」と彼らに告げます。
その後隣国との戦争が始まり、若者たちは兵隊として連れていかれました。
老人の息子は足を骨折していたために、兵役を免れることができたのです。
近所の人々は言います。
「ご老人よ。我々を許してくだされ。お前さんがただしかった。
我々の息子は戦争に連れていかれてしまった。お前さんには息子がいる。なんて幸運なことだ」
そして老人は彼らにこう告げたのです。
「お前さんたちはいつになったら学ぶのだ。何が幸運か不運かわしらにはわからんのだ。全部見えんのだからな。わしらに見えるのはかけらだけだ。そしてかけらからは物事を判断できはしないのだ」
これが人間万事塞翁が馬のストーリーです。
中心につながり全体が見えている老人と、
外側の世界の断片的な出来事に振り回される近所の人々が巧みに描写されています。
もし老人が善悪でジャッジをしていたならば、
今頃息子は兵隊として戦場に連れていかれていたでしょう。
シンクロニシティに「気づく」
昔の同級生のことを考えていて、たまたまその人とばったり会ったとき、
「単なる偶然」として処理することもできます。
しかし、それをただの偶然としてスルーしてしまったら、
その先に待っているチャンスを引き寄せることはできません。
僕自身の体験のように「引き寄せの法則」という言葉をやたら目にするようになったのであれば、そこには必ず何か意味があるということです。
自分の内面の投影が外側の世界の出来事。
言い換えると、内面の自分からのメッセージであるということです。
頻繁に同じものを目にするということは、
内面の自分が何かを伝えようとしているということです。
その時は点でしかなくても、
その点は必ず線として未来につながっていきます。
シンクロニシティは頻繁に起こっています。
ただ、ほとんどの人はそれに気づいていない。
もしくは気づいていてもスルーしているのです。
すでに持っているものに感謝し、自分の「中心」とつながってみてください。
必ずシンクロニシティに気づくはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。