日本は過去最大規模の台風が来ているようですね。
被害にあわれている皆様のご無事をお祈り申し上げます。
台風は時間が経てば過ぎ去っていくので、
とにかく今は安全なところに避難することだけを最優先してほしいです。
人によってはこういう状況でも出社しないといけない人もいるみたいですが、
本当に危険なら無理して出社する必要はないと思います。
果たして会社にそこまでさせるだけの権利があるのだろうかとも感じます。
当たり前が当たり前でなくなるとき
大規模な自然災害が起こると、ライフラインが機能しなくなることがあります。
その生活は不便極まりませんが、そこにも必ずギフトはあります。
苦労が増えるので気持ちが沈んでしまいがちですが、
そういうときこそ「良い面」を見る癖をつけると気持ちが楽になります。
一時的に不便な生活を強いられることになるかもしれませんが、
いつも当たり前だったことがとても有難いことだったことに気づくはずです。
- 雨風凌げる家がある
- 電気があって水がある
- あったかいお風呂に入れる
- おいしいご飯が食べれる
ライフラインが使えなくなったことにより、様々な面で大変なことが増えます。
でも、ライフラインが復旧して今まで通りの生活にもどったとき、きっとこれらの当たり前のことに感謝できるようになっているはずです。
「今まで当たり前だと思っていたことに幸せを感じることができる」というのは、人生においてかけがえのないギフトになります。
なぜなら、ほとんどの人はそれらのものを持っているのに、幸せを感じることができないからです。
それって、仕方ないことですがとてももったいないと思います。
不便な思いをして苦労したからこそ、普通の人よりもたくさん幸せを感じることができるようになったということです。
確かにつらい思いをするかもしれませんが、「最悪な体験だった」で終わらせてしまうのはもったいないです。
僕たちは「幸せとは物質的に満たされていることである」と勘違いしていますが、
幸せとは心の在り方の問題で、物質的に豊かかどうかは関係ありません。
人生を見つめなおすきっかけ
僕たちは生きていることを当たり前だと無意識に感じています。
でも、こういった災害に見舞われたとき、はじめて「死」というものに向き合うようになります。
誰だって死と向き合うのは怖いです。
だからこそ、それを考えないようにしているうちにその存在を忘れ、生きていることが当たり前に感じるようになっているのです。
でもそういう体験をしたからこそ、「自分の人生を後悔のないように精一杯生きよう」と思えるようになる瞬間があります。
今まで自分がどれだけ人生の時間を無駄にしてきたのか、
なぜ今まで自分のやりたいことをしてこなかったのか、
自分の人生のゴールとはいったい何なのか、
そういうことに気づかさせてくれるのは、死と向き合う体験をしたからです。
「いつかいいことがある」と我慢ばかりの人生を生きてきて、
ある日突然亡くなってしまったら後悔してもしきれません。
多くの人は、自分の人生と一度も向き合うこともなく人生を終えていきます。
「人生を精一杯生きよう」と決断したとき、その人生には希望しかありません。
人の温かさに触れる
ネットやSNSを見ていると、安否を気遣ったり情報をシェアしあったりして人々が助け合っている姿をよく目にします。
「現代は人と人とのつながりが希薄である」とよく言われますが、
こういう姿を見ると、現代社会もまだまだ捨てたものではないと思わされます。
困っている人がいて助ける人がいる。
今度はその立場が逆になることもあります。
他人に無関心だった現代人に、支えあいの大切さと人の温かさを教えてくれるのは、こういう出来事があるからこそです。
当たり前が増えすぎた社会
当たり前が増えると、それに反比例して感謝が減っていきます。
物質的に恵まれているというのははたからみると幸せに思えますが、
幸せを感じるセンサーが鈍っていると考えると、決して喜べることではありません。
何に対しても幸せを感じることができないと、永遠に不足感を感じ続けることになります。
この世の中に「当たり前」など存在しません。
そのことに気づくと、今まで見えなかった幸せが一気に見えるようになっていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。