僕も初めて知ったのですが、3/20は世界幸福デーだそうです。国連が決めた日ですから、世界的にもオフィシャルな日みたいです。
幸福度というのは目にに見えるものではないので、数値で測るのは難しいと思いますが、ある一定の基準に基づいて測定されている世界幸福度ランキングの信ぴょう性は高いように思います。
はたして2019年の日本の世界幸福度ランキングは何位だったのでしょうか?
下がり続ける日本の幸福度ランキング
日本の2019年の幸福度ランキングについては、こちらのウェブサイトが解説してくれていますので、ご覧ください。
2019年の日本の世界幸福度ランキングは58位でした!
これを高いと見るか低いと見るかは人それぞれだと思います。
このウェブサイトで解説をしてくれていますが、日本のランキングは年々落ちてきています。
ただランキングというのは相対的なものですから、日本が落ちたのではなく他国が上がってきただけという捉え方もできます。
日本人の幸福度そのものは昨年とそんなに変わっていない可能性もあるので、幸福度の絶対値が下がったとも言えないのも事実です。
幸福度は物質的豊かさとは関係ない
一般的に裕福であれば幸せであると考えられていますが、実は物質的豊かさと幸福度は必ずしも比例しません。
もし単純に経済レベルだけで見るのであれば、日本だけでなくアメリカも上位10か国に入ってないのはおかしいです。
物質的豊かさというのは幸福になるための手段であって、目的ではありません。
そして僕たち人間はすべからく幸せになるために生まれてきたはずです。
しかし、いつの間にかその本質を忘れ物質的豊かさを追い求めてきた結果が、世界でも有数の経済大国日本を作り上げたと同時に、人々の心の豊かさを奪っていったような気がします。
幸せの定義
なぜ日本の幸福度が他の経済大国と比べ、著しく低いのかということについて、僕なりの考察を述べてみたいと思います。
そのために幸せとは何なのかということについてものすごく漠然としていて、非常に乱暴な言い方になりますが、定義してみたいと思います。
僕は幸せとは「自由」なのではないかと考えています。
自由には自由なりの苦悩がありますが、それはここでは置いておきます。
裕福になるということは経済的自由を指します。経済的自由を得ることができれば、自分の時間も自由に使えるようになります。
もし人間関係が思い通り(自由)になったらどうでしょうか?
自由とは裏返すと「不安がない」ということです。経済的自由があれば、お金の心配をする必要はありませんよね。人間関係が思いのままであれば、人間関係に苦しむこともありません。
時間的自由があれば、好きな時に好きなことができます。
想像してみてください。あなたの人生が今後一切不安がないとしたらどういう気持ちになりますか?
経済・人間関係・時間・健康など自由な分野があればあるほど、幸福度は上がっていくような気がします。
失われた経済的自由
必ずしも自由だけが幸福度のすべてではありません。それを踏まえた上で聞いてください。
幸福度が自由であるとするならば、不自由であるということは幸福度が低いということです。
日本は寛容性の低い国だとよく言われます。しかし寛容性自体は過去と比べて、そこまで劇的に悪化していないように思います。
景気が良かったころは経済的自由があったから、幸福度もそれなりにあったのだと思います。しかし、景気が悪化し経済的自由さが失われてきた。その結果労働環境が悪化し、時間的自由も無くなってきたのが直接的な原因ではないかと思います。
今まである程度自由だったものが、自由でなくなってしまった。その結果人々の幸福度が下がるという結果になってしまったのだと思います。
日本は世界的にみると経済的に豊かな国です。でも、人々はどうしても「無いもの」に目を向けてしまう傾向があります。ですから、世界的に豊かであっても幸福度は他国よりも低くなってしまったのではないかと思います。
THE他人軸国家
ここまでの話を聞くと、「なんだ、結局経済的豊かさが幸福度に関係しているじゃないか」と思ったかもしれません。
確かに経済的豊かさというのは幸福度を占める割合はかなり大きいです。
しかし、景気が悪化した経済大国というのは世界にいくつもあるはずです。しかしなぜ、世界トップクラスの経済レベルの日本だけがここまで幸福度が低いのか。
それはさっき言及した「寛容性の低さ」が足を引っ張っているのだと思います。
景気が良かった時は寛容性の低さもそこまで気にならなかったはずです。しかし拠り所としていた経済的自由も脅かされるようになると、ただでさえ窮屈に感じていたものに対して、より一層不自由さを感じるようになります。
このブログに何度も登場する「観念」の話になりますが、「~しなければならない」というのは、逆に言うと「~してはならない」ということでもあります。
日本では他人に迷惑をかけないということが何よりも最優先されています。
そして他人と足並みを揃えることが正しいと考えられています。
つまり何事も「他人」を基準に行動しているということです。
自分軸というレールの上を走っている電車は自分でコントロールできます。そこには自由があります。
でも他人軸というレールの上は、他人がコントロールする電車に乗っかっている状態です。当然そこに自由はなく、すべて他人次第です。
どこに行くかもわからないし、事故するかもしれないです。怖いし、不安を感じますよね。
つまり僕たちは他人によって(感情などを)コントロールされ、(コントロールできない)他人をコントロールしようとしているのです。
部下が言うことを聞かないとか、パートナーが話しを聞いてくれないとか、上司が無能だ、とか感じるのも、すべて自分の思い通りに相手を動かそうとしているから出てくる不満です。
自分は自分、他人は他人だと思うことができれば「他人をコントロールしよう」という状態から生まれる不満というのは生まれないはずです。
ここででてくるのが「観念」です。
「しなければならない」、「してはいけない」のことです。
日本人が寛容性が低いのは観念が多いのと、自分に厳しすぎるのが原因です。
自分に厳しい人は概して他人にも厳しいものです。
自分はルールを守っているんだから、あなたも守りなさいと思ってしまいます。
そして、「みんなやっているから」という日本の集団意識がよけいに、その「観念の押し付け=他人をコントロールしようという気持ち」に拍車をかけます。
「自分は自分、他人は他人」と思っていれば「みんなやっているから」ということは全く気になりません。
そして、自分に厳しくするのをやめると、他人に対しても寛容になることができます。
「自分もできてないんだから、他人もできてなくてもしょうがない」と思えるようになります。
幸福度を上げる第一歩は「自分に厳しくするのをやめる」ことです。それと他人が自分に「観念の押し付け」をしてきても気にしないことです。「他人は他人、自分は自分」です。
今日は以上です。
いつもブログを読んでくださりありがとうございます。