潜在意識と引き寄せの法則でどん底から人生逆転

カナダで失業、生活保護、人生どん底からの逆転。

誰からも愛され、尊敬される方法



皆から愛され、尊敬されている人がいる一方で、

誰からも尊敬されず、愛されていない人もいます。

 

両者の違いを比べてみたとき、

必ずしも地位や肩書などが関係しているわけではありません。

 

ステータスだけみれば普通の人でも、

人々から尊敬され愛される人もいれば、

地位や肩書は立派だけど、

嫌われていて全く尊敬されていない人もいます。

 

その原因は、地位や肩書などの表面的な事象にあるわけではなく、

人間のもっと深い部分に存在しています。

 

 

 

自分を大切にしなければ、世間からも大切にされない

もうこの見出しで今回の記事の結論を言ってしまいましたが、

すべての人間関係は、「自分が自分をどう扱ったか」によって決まります。

 

自分を愛して大切にしている人は、

皆から愛され大切にされます。

 

自分のことが嫌いで、いつも自己否定ばかりしている人は、

世間の人から否定されやすくなります。

 

「自分には価値がない」と思っている人の言動はどんな感じでしょうか?

 

「自信に満ち溢れていつも堂々としている」

 

なんてことは絶対にないと思います。

 

自信なさげにいつもネガティブな言動をしているはずですね。

当然波動も低い状態です。

 

そして、自分の波動と同じような人が引き寄せられてしまいます。

 

もしくは、「自分には価値がない」という現実を

知らしめるような人が引き寄せられます。

 

自分のことをいじめてばかりいる人は、

世間からもいじめられやすくなります。

 

現実社会の人間関係は、

「自分で自分をどう思っているか」の答え合わせです。

 

自分を雑に扱うと、雑に扱われる理由

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あなたは道を歩いています。

あなたの手には空のペットボトルがあります。

 

その道の周囲はゴミが散らかっていて、

まったく掃除されておらず、ごみ箱も設置されていません。

 

また、別の道を歩いているとき、

その道の周囲は綺麗に清掃され、ごみ一つ落ちていません。

ゴミ箱も等間隔に設置され、ごみ捨て禁止の看板もあります。

 

おそらくですが、

後者の状況でペットボトルを捨てる強者は少ないと思います。

 

でも前者の場合はどうでしょうか?

 

「どうせゴミが散らかってるし、別に捨ててもいいかな」

 

と思う可能性が高いですよね。

実際に捨てた場合、後者に比べると圧倒的に罪悪感は少ないと思います。

 

自分を雑に扱っていたら、

周囲の人々も無意識にあなたのことを「雑に扱ってもいい」と

思うようになってしまいます。

 

先ほどお話ししたように、

自分を雑に扱っていると、

自分のことを雑に扱うような人が引き寄せられます。

 

自分を愛し大切にしている人が、

皆から愛され大切にされるのは、

同じような人が引き寄せられ、

他人のことを雑に扱うような波動の低い人が寄ってこないからです。

 

自分を責めてばかりいると現実まで変わってしまう

これは僕自身の経験則ですが、

自分のことを責め、自己否定してばかりいるときは、

どんどん現実が悪化していったように思います。

 

その状態が続き、あるときに臨界点を越え、

ついに人生のどん底まで落ちてしまうことになりました。

 

「なんでこんなことになってしまったんだろう」

と当時思いましたが、

自己否定ばかりしていたことが

原因だったのだと今では考えています。

 

自己否定している人間は、

自分に自信もないから結果が出るはずがないし、

波動の高い人々は寄り付きません。

 

こんな状態で人生がうまくいくはずがありません。

 

その後、その状況にますますネガティブ思考になり、

さらなる自己否定を繰り返すことで、

状況はどんどん悪化していきました。

 

誰からも愛され、尊敬される方法

 

もうすでに答えは出ていますが、

誰からも愛され、尊敬されるためには、

自分自身を愛し、「自分は素晴らしい人間である」

と心の底から信じることが大切です。

 

「自分は愛されるのが当たり前の人間である」

「自分は素晴らしい人間である」

 

と心の底から思っていると、

そのような人間として振舞うようになります。

 

ほとんどの人は、愛を素直に受け取ることができていないだけです。

 

「自分は(愛される)価値がない」と思っているから、

自分が愛を受け取ることに許可を出していないのです。

 

「自分は愛されて当然の人間である」と思うことができれば、

自分が愛されることに対して許可を出すことができます。

 

どんなに虚勢を張って自分の外側ばかりを磨いても、

自分の内面がそれについてこれなければ、

愛や尊敬を受け取ることはできません。

 

僕たちは愛されていないわけでも、

尊敬されていないわけでもありません。

 

ただそれを受け取る許可を出していないだけです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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