可愛い子には旅をさせよとは、「自分の子供のことを可愛いと思うなら、甘やかすことをせず、世の中の辛さを体験させなさい」という意味のことわざです。
自分の子供のことが可愛いとついつい甘やかしてしまいがちですが、そのことが子供の成長を阻害し、結果として子供を不幸にしてしまうこともあります。
子供からしても自分の親が何でもしてくれるというのは楽ですが、それが必ずしも
幸せかと言われればそういうわけではありません。
「親が何でもしてくれる」ということは、裏を返せば「親がいないと何もできない」ということです。
自分ひとりでは何もできない人生というのは「つまらない」です。
だから、子供のことを愛するのであれば、あえて世の中の辛さを経験させたほうがいいのです。
親と子供の間柄
ちなみに今回の記事は子育てに関する内容ではありません。
宇宙に存在するすべての生物には必ず「親から子供が生まれる」という法則があります。
「子供から親が生まれる」という話は聞いたことがありませんよね。
親と子というのは、必ずしも血縁関係がある間柄だけの話ではありません。
例えば地球は宇宙から生まれました。
ということは宇宙は地球の親ということになるわけです。
その理屈で考えると、地球や宇宙というのは僕たち人間の親ということになります。
宇宙とは万物の創造主です。要するに「神様」です。
この記事では宇宙のことを「神様」として表現しますが、「神様」という表現に抵抗のある方は別の表現に置き換えて理解していただいてもかまいません。
人生という旅
僕たち人間は親である神様によって、人生という旅をさせられています。
どんな人生であっても、平坦な人生というのは存在しません。
いいこともあれば、わるいこともあります。
でも、それらの経験もすべて僕たちの親である「神様」の愛によるものです。
「神様が人間を愛しているなら、なぜいいことばかりを起こさないのだ」と思うのであれば、もう一度冒頭の文章を読んでみてください。
確かに人生悪いこともたくさんおきます。でも、同じぐらいいいことも起きているはずです。
神様が人間のことを愛していないのであれば、悪いことばかり起こる人生もあっていいはずです。
でも、悪いことしか起こらない人生というのは存在しません。
人生というのは、我々の魂が成長するための旅です。
人生を物質世界のレベルだけで考えてしまうと、このことが見えなくなってしまいます。
獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす
「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす」というのは、「可愛い子には旅をさせよ」とほぼ同じ意味のことわざです。
獅子とはライオンのような架空の生き物です。
獅子は自分の子供を谷に突き落とすことによって、そこから這い上がってくるかを試しているのです。
「可愛い子には旅をさせよ」との違いは、この言葉には「子供のことを試している」というニュアンスが含まれていることです。
人間も神様によって、「人生のどん底」という谷に突き落とされます。
神様は僕たちがそこから這い上がってくるかを試しているのです。
「最悪だ」と絶望して腐ってしまう人もいれば、そのどん底体験をバネにして這い上がってくる人もいます。
そして、神様は這い上がってきた人だけに手を差し伸べるのです。
どん底と思えるような出来事をどうとらえるかは、自分の解釈しだいで変えることができます。
不運な出来事が起こった時の考え方
「手のかかる子供ほどかわいい」とよく言われていますよね。
だから、マイナスな出来事ばかり起こる人というのは、神様に可愛がられている人であるということが言えます。
不運な出来事に見舞われると、他人のことがうらやましく見えてしまうことがあります。
でも、実際はその人よりもあなたのほうが神様に愛されているということに気づく必要があります。
ここで注意しないといけないのは、「ふてくされて人生を諦めてしまってはいけない」ということです。
どん底という谷を這い上がれば、そこでは神様がギフトを持って待ってくれています。
これからはマイナスな出来事が起こるたびに「神様はどれだけ俺(私)のこと好きなんだ」と考えてみてください。
嫌な出来事が起こるたびに「また(神様に)愛された」と考えるようにしていれば、間違いなく人生は好転します。
ネガティブなパワーというのは強いんです。多くの人はそのパワーに引きずられ、人生を悲観的な目で見てしまいます。
同じ出来事が起こったとしても、感謝している人と絶望している人では、その人たちの未来がまったく違うものになることは容易に想像できますよね。
ポジティブ思考とはちょっと違います。
ポジティブ思考じゃなくて、感謝です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。