以前どこかの記事で1万円の原価は22円であるとお話ししました。
なぜ22円の紙切れに一万円の価値があるのでしょうか?
それはこの紙切れは1万円の価値があるという共通認識があるからですね。
別の言い方をすると、1万円の価値があると信用しているということです。
明日突然日本政府が「1万円札は使えません」とお触れを出したら、
その紙切れの価値は一気に22円まで下がってしまいます。
メモ帳代わりにもならないということで言えば、
利用価値は白紙の紙よりも低いかもしれません。
お金とは信用を数値化したものです。
お金=信用を数値化したもの
お金というのは今まで自分が得てきた信用を表しています。
お金という物質で考えるとわかりづらいですが、
データとして考えるとしっくりくるかもしれません。
「○○信用銀行」という自分の名前の付いた銀行があり、
信用が貯まるたびにその銀行の残高が増える感じです。
人間がお金を払うときは必ず信用が伴います。
信用できない人にはお金を払いませんよね?
詐欺師は人を信用させるのがうまいから、
お金をだまし取ることができるのです。
人から信用してもらうためには、
とにかく与える側に徹すること。
与える人は多くの人から信頼されるし、
味方してもらえる機会も増えます。
だからこそGiverの人のところには、
お金が集まってくるのです。
Takerになればなるほど人は逃げていきます。
お金=情報
日本はまだまだキャッシュ文化ですが、
海外の多くの国ではキャッシュをほとんど使わないことも多いです。
支払いはもっぱらカード払い。
僕自身もカナダでは現金をほとんど持ち歩いていません。
となると、「お金っていったいなんなんだ」ってなりますよね?
もはやお金という物質の受け渡しすらしていないわけです。
お金はすでにバーチャルな存在となっており、
ただ情報が書き換わっているだけです。
「銀行は我々の預金額を実際に保持しているわけではない」
ということはご存じですよね?
仮に1億円銀行に預けていたとしたら、
その1億円は銀行が持っているわけではないのです。
僕たちが預けたお金を、
銀行は別の人に貸すことにより運用しています。
実際には存在していないお金を「ある」ということにしてるだけです。
僕たちは銀行を信用しているからこそ、
そういうシステムが成立してるわけです。
それがいいとか悪いとかそういう話ではありません。
実際には「ない」ものを「ある」ことにすることができるのです。
預金残高という「情報」があり、
それが実際に存在しているという「信用」があるから、
この状況が成立するわけです。
この両輪のどちらかがかけていたら、
この状況は成り立ちません。
ただのデータに一喜一憂しない
お金というのは時に人を狂わせます。
しかし、先ほどもお伝えしたとおり、
お金というのはただの情報です。
僕たちは、実体のないただのデータに一喜一憂しているのです。
データの数値が増えたり減ったりで、
喜んだり落ち込んだりしてるわけです。
そう考えると、お金で一喜一憂するのってバカげてると思いませんか?
スマホゲームで一喜一憂してるのと変わりありません。
スマホゲームもただのデータですからね。
ただのデータのために人生を棒に振る人も少なくありません。
もうちょっとニュートラルな視点でお金をとらえることができれば、
お金の奴隷にならずに済むはずです。
まとめ
「お金とは信用を数値化したものである」
つまり、お金を増やしたければ信用を増やせばいいということです。
信用を増やすためには、
人が喜ぶことを率先して行うこと。
そうすることによって、
あなたの「信用銀行」の銀行残高というデータの数値が増えます。
僕たち人間がやっているのはただそれだけです。
会社から給料をもらうのも、
残高が増えたと思っているだけで、
実際に実物を見たわけではないですよね?
これぐらいドライな視点でお金を見ることができれば、
お金に執着することがバカバカしくなってきます。
お金に対する執着がなくなると、
お金が引き寄せられるようになります。
最後まで読んでいただきありがとうございます。