潜在意識と引き寄せの法則でどん底から人生逆転

カナダで失業、生活保護、人生どん底からの逆転。

相手の靴を履く

英語の表現の中にIf i were in your shoes, I would ○○というものがあります。

 

直訳するなら「もし私があなたの靴を履くなら、私は○○するだろう」という意味になり、つまりは相手の立場になってものを考えるということです。

 

「自分だったとしても同じことする」なら、If I were in your shoes, I would do the same thing.となります。

 

異なる考えをもった人たちがお互いの正義を押し付けあうから、争いごとに発展します。

 

人々の心がバラバラになった現代社会では、「相手を理解し、共感することが重要である」ということが論じられて久しいです。

しかし、他者理解や共感という言葉では、本当の意味の「相手のことを理解する」というニュアンスが伝わらないと思っています。

 

僕はこの「相手の靴を履く」という表現が、他者理解を表すのに一番しっくりくるような気がしています。

 

相手の靴を履く

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昔の僕は非常に我が強い人間で、しょっちゅう他人と衝突していました。

 

自分の意見をはっきり言える自分を誇らしく思っていた、愚かな思考の持ち主だった時期もあります。

 

年を取るにつれ他人と衝突する無意味さを理解するようになり、

他者理解を心掛けるようになりました。

 

しかし、我が強い自分が他人の気持ちを理解できるようになることは難しく、

それができるようになったのはつい最近の話です。

 

それはまさに「相手の靴を履いている」ような感覚でした。

 

その時にこの言葉がとても腑に落ちた感覚がありました。

 

他者理解と共感

僕が他者理解を心掛けたにもかかわらず、それを達成することがなかなかできなかったのは、他者理解や共感という言葉の表面だけで考えていたからです。

 

他者理解と共感では、なぜ相手の気持ちを本当の意味で理解することができないのか?

 

それはそれらの言葉が、「自分を中心にして相手のことを理解する」という(表面的な)意味をもつからです。

 

表現が難しいのですが、「自分の考えを相手に擦り合わせていく」ようなニュアンスです。

 

そこにはまだ自我が残っていて、その自我を無理やり相手に合わせようとする感覚があります。

 

したがって僕のような人間は、自我という分厚いフィルターを通して相手の気持ちを読み取ろうとするので、結局他者理解ができないんです。

 

頭では理解しているつもりでも、実際は全然相手の気持ちを理解できていませんでした。

 

相手になりきる

「相手の靴を履く」ということは、相手になりきることを意味します。

そこに自我というフィルターはありません。

 

例えば、自分がおおざっぱでパートナーが几帳面な人だったとします。

 

そして、細かいことにいちいち文句を言ってくるパートナーをうっとうしく感じています。

 

パートナーはパートナーで、何もかも雑な自分にイライラしています。

 

自分からすると、「そんな細かいことどうでもいいだろ」と思いますよね。

でも喧嘩は良くないから、なんとか相手のことを理解しようとします。

 

その場合、「この人は几帳面な性格だから仕方ないか」と頭で理解していても、

自我があるからどうしても納得できないわけです。

 

「とはいえ、細かいこと気にしすぎだろ」と心のどこかで思っているのです。

 

でも、相手の靴を履いて完全にその人(パートナー)になりきったらどうでしょうか?

 

もし自分が几帳面な性格だったとしたら、自分も同じことすると思いませんか?

 

自分が几帳面な性格で、相手がおおざっぱな性格だったら、

きっと自分も細かいことをグチグチ言うはずです。

 

今の自分のフィルターを通すと相手のことを理解できませんが、

完全に相手になりきると、「自分も同じことするだろうな」と思えるようになります。

 

僕は、容量が悪くて仕事が遅い同僚にイライラしていたことがあります。

 

でも、「もし自分が容量が悪いその人自身だったとしたら、きっと同じように仕事が遅いんだろうな」と思うようになったら、イライラしなくなりました。

 

自分にとってはあり得なくても、相手にとっては当たり前だということはたくさんあります。

 

完全に相手になりきることができれば、そのあり得ないことが許せるようになります。

 

なぜなら、その人にとってそれが当たり前だから、自分がその人だったとしても必ず同じ行動をとるはずだからです。

 

許すのは自分のため

プライドが高い人ほど他人のことを許すことができません。

 

しかし、許せるものが少ない人ほど、人生がどんどん苦しくなっていきます。

他人に許せないことは、自分に対しても許可できないからです。

 

時間にルーズな他人を許せない人は、

自分が時間にルーズになることに罪悪感を感じます。

 

仕事よりも趣味が大切という人を許せない人は、

自分が仕事よりも趣味を優先することができません。

 

チャラチャラしている人が許せない人が、

チャラチャラしている人になることは絶対にありません。

 

許せないものが増えれば増えるほど、不自由なものが増えていきます。

 

したがって、「許す」ということは自分の人生を軽くするためにやることなんです。

 

でも自我が強かったりプライドが高い人は、なかなか他人の気持ちを理解することができません。

 

だから、他人の靴を履いて完全にその人になりきることが大切なんです。

 

他人を許すと怒りやもめごとが減り、気持ちが穏やかになります。

 

他人が許せない傾向が強い人は、ぜひ「他人の靴を履く」ことをやってみてください。

あなたのために、です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。