人生の仕組みとは非常にシンプルです。
「何を見ているかで人生が決まる」。ただこれだけです。
しかし、多くの人は「何が見えているか」で人生が決まると思い込んでいます。
でも実際は「何が見えているか」ということは、人生の良し悪しに関係ありません。
「何が見えているか」
非常に抽象的な表現になるので、もうすこし具体的に説明したいと思います。
「何が見えているか」というのは、わかりやすくいうと環境や境遇のことです。
つまり、冒頭の言葉をわかりやすく言い換えるとすると、「人生の良し悪しは環境や境遇には関係ない」ということです。
一般的に環境や境遇に恵まれていないと、「ツイてない」とか「不運だ」といって自分の人生を悲観することがありますが、それはただ自分がそう思い込んでいるだけで、それが自分の人生をツイてない、不運なものにしてしまっているということです。
不遇な環境から大成功した偉人たち
普通の人からすると、自分の運命を恨みたくなるような不遇な環境から大成功した偉人というのは歴史上数多く存在します。
以前にこのブログでも紹介した松下幸之助さんもその一人です。
「世界の松下」として、日本人では知らない人がいないぐらい有名な彼の名言にこういうものがあります。
「私は貧乏で、体が弱くて、学歴がない。だからこそ成功できた」
普通の人ならこれだけの不遇な環境に生まれたら、自分の人生を恨み自暴自棄になると思います。
しかし、彼が見ていた世界は一般的な人が見ている世界とは真逆でした。
- 貧乏だからハングリー精神を持つことができた。
- 体が弱いから人に頼り仕事を任せることができた。
- 学歴がないから素直に人のアドバイスを聞くことができた。
彼は恵まれない状況であったにも関わらず、自分の境遇を嘆くこともなくむしろそれをプラスに解釈していたのです。
だからこそ、あそこまで大きな成功をすることができたのだと思います。
ヘレン・ケラーも視覚と聴覚に障害を持ちながら、歴史に名を残すぐらいの大きな功績を残すほどの偉人になりました。
このことからもわかるように、境遇や環境に恵まれていないからといって必ずしも不幸な人生になるということではありません。
気持ちはわかるが・・・
ではなぜ、普通の人は自分の境遇を嘆き悲観的になってしまうのでしょうか?
人生がうまくいかないとき、人は何か(誰か)のせいにしたくなるものです。
「自分は悪くない。自分がうまくいかないのはこの環境が悪いのだ」と。
誰だって自分のことを正当化したくなるものです。
そして、どんな人であっても人生にいいことも悪いこともあります。
その悪いことが起こった時に、それをどうとらえるかで人生が決まります。
でもよくよく考えてみてほしいのですが、「自分は悪くない」というスタンスで生きているということは、「自分を良くしよう」という意識を持ちづらくなるということです。
うまくいかないときに「自分に問題がある」という意識があれば、自分を良くしようと努力するはずです。
そして、自分が変わることによって人生も変わります。
大人の責任
同じ環境であったとしても解釈の仕方ひとつで人生は180度変わります。
冒頭でもお伝えしたように、大切なのは「何を見るか」です。
だからこそ、自分の子供に普段からどういう言葉をかけるかということには、注意を払う必要があります。
子供に否定的な言葉をかけ続けると、子供は低いセルフイメージを持ち、ネガティブ思考になっていきます。
それによってその子の人生が決まってしまうと言っても過言ではありません。
そう考えると、大人の責任はとてつもなく重大であるということがわかります。
おまけ
今日は車がパンクして修理に持っていきました。
自宅近くでパンクが発生し家から徒歩圏内に修理工場があるので、その状況をネガティブに捉えるのではなく、むしろラッキーだと考えていました。
しかし、修理工場に持っていくとあれやこれやと不具合を指摘され、驚愕の支払い金額を見てさすがにネガティブに一瞬なってしまった自分がいました。
偉そうに講釈を垂れてきましたが、自分もまだまだ修行中です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。