今日は久しぶりに雨が降りました。
こちらでは夏であっても雨が降ると肌寒く、
雨が降ると気分が沈んだり、
濡れたくないから嫌な気分になることが多いですよね。
ほんのちょっとしたことですが、
こういう些細な出来事の解釈の仕方で、
人生の見える景色は大きく変わります。
雨の日の朝
朝起きて窓を開けると雨が降っていたら、あなたはどう感じますか?
「うわ、雨が降ってる。嫌だなあ」
と思う人がほとんどではないでしょうか?
一般的に、雨が降って喜ぶ人は少ないはずです。
確かに個人レベルで考えると、雨が降って良いことというのはあまりありません。
濡れるし、外で遊べなくなるし、洗濯物も干せなくなるし、気分もなんか沈む。
でも、まったく雨が降らなかったらどうでしょうか?
土地は枯れ、作物は育たなくなります。
まったく雨が降らなければ水不足になります。
そうすると食べ物を確保するのに困るだけでなく、
生きていくのにも支障をきたします。
雨は定期的に降ることで、僕たちが生きていくのに苦労することないように恵みを与えてくれているんです。
個人レベルで考えると迷惑かもしれません。
でも地球全体で考えると雨というのはとてもありがたい存在です。
それなのに僕たちは雨に対して不満ばかり言ってしまいます。
人はそれぞれ「器」を持っていて、
経済的豊かさはその器の大きさに比例します。
一般的に自分のことしか考えていない人の器は小さく、
視野が広く、より多くの人の幸福を考えることのできる人の器は大きいと言われていいます。
マイナスが存在する意味
もしこの世の中からマイナスな出来事がいっさいなくなったらどうなるでしょうか?
生きるのはとても楽になりますが、
絶対にどこかで退屈になるはずです。
人間には自己実現欲求というものがあります。
経済的、精神的に満たされてくると、人は自己実現をしたいと欲するようになります。
自己実現をするためには、今の自分から成長する必要があります。
そして成長するためには試練が必要なんです。
人間は怠惰な生き物なので、
痛みがなければどんどん堕落していきます。
「痛みを避けたい」という願望があるから、それが原動力となって行動できるんです。
おいしくないからと野菜を食べずに肉ばかり食べていたら、健康を損ないます。
転ぶのが怖いからと、いつまでも補助輪をつけたまま自転車に乗っていたのでは、
いつまでたっても一人で自転車を乗れるようにはなりません。
そして、転ぶという経験をさければさけるほど、失敗への恐怖が大きくなっていきます。
失敗への恐怖はメンタルブロックとなり、
僕たちが行動を起こす際の心理的ブレーキになります。
失敗を恐れ行動しないということは、
成長を拒否することでもあります。
プラスの結果を得たいのであれば、
一定レベルのマイナスを享受しなければなりません。
逆に言うと、一定レベルのマイナスがあったということは、
それに見合ったプラスの結果が待っているということです。
ただし、地球は「行動の星」なのでマイナスがあっても行動しなければ、
プラスの結果を得ることはできません。
「雨が降る」という事実を変えることはできません。
でも「雨が降る」という事実に対する解釈は変えることができます。
どうせ同じ出来事ならば、自分が楽しくなるような解釈をしたほうが、
自分の人生にとってもプラスになります。
最後まで読んでいただきありがとうございます。