人間は動物の中で唯一言語をつかさどる生き物です。
言語という最強のコミュニケーションツールを持っているにもかかわらず、
他者のことを理解することができない生き物でもあります。
他の動物が他者を理解できているかはわかりませんが、
少なくとも否定することはしていないでしょう。
僕は「理解=愛」だと考えています。
「理解=愛」と定義した場合、
その反対である「否定」は「敵意」ということになります。
人間関係からもめごとがなくならないのは、
他者のことを理解できないからです。
お互いが理解しあえるような世界になれば、
人間関係で悩まされることはなくなり、
もっとハッピーに暮らせる人が増えるのは間違いありません。
理解=愛
「理解=愛」という定義づけがしっくりこない人は、
「愛=理解」に置き換えて考えてみてください。
自分が愛する人のことは理解しようと努めるのではないでしょうか?
恋人同士が「お互いのことをもっと知りたい」と思うのもそうだし、
親が赤ちゃんのことを理解しようとするのもそうです。
「理解なき愛は存在しない」と言ってもいいぐらい、
この両者はセットになっていると思います。
愛が無くなると相手に対する理解も希薄になります。
恋人が夫婦になるととたんに仲が悪くなるのも、
自分本位で考えて相手を理解しようとしないからです。
否定が生む悲劇
理解の反対は無関心ですが、
無関心よりもさらに悪いのが否定です。
人間は理解してほしい生き物です。
承認欲求という欲求がありますが、
あれも「理解してほしい」という思いの一部です。
理解してほしいにもかかわらず、
理解を示すどころか否定されてしまう。
否定をすることは「私はあなたの敵です」と言っているようなものです。
否定された人間が感じるのは、
自己喪失感もしくは相手に対する敵意ぐらいです。
相手の心を開かせる方法
人間関係がうまくいかない人は、
相手の心を開かせるのが下手です。
他人の心を開かせるのはそれほど難しくなく、
相手の話に興味を示して耳を傾けるだけです。
人間は自分に興味を示してくれる人に好感を持ちます。
自分本位で自分の話ばかりする人が嫌われるのは、
相手の話を聴こうとしないからです。
相手の話が理解できなかったとしても、
理解しようとしている姿勢を見せるだけで、
相手は自分に対して好印象を持つはずです。
言語は厄介
人間には言語というコミュニケーションツールがあります。
このツールは非常に便利である反面、
非常に厄介な存在でもあります。
言葉だけで「取り繕う」ことができるからです。
思いとは裏腹の言葉を発することで、
自分の本当の気持ちを隠すことができます。
口で言うだけなら何とでも言えます。
相手の本当の気持ちを読み取るためには、
表面的な言葉に惑わされてはいけません。
他者を理解できる人は言葉を発さなくても、
姿勢や態度を見ればだいたいわかります。
否定が存在する理由
否定が存在する理由は、
その裏に絶対的な正解が存在するからです。
その正解とは人間関係に限定するならば、
価値観や信念と表現することができます。
人それぞれ大切にしている価値観や信念は異なります。
それが自分の中での絶対的な正解となっているので、
その価値観にそぐわない考えを持つ人間を否定してしまうわけです。
日本人は画一的な教育を受けて大人になります。
世の中に正解は一つではないのに、
何事も「〇か×」で結論付けようとします。
テスト至上主義の弊害でしょう。
子供の頃からそういう教育を受けて育つと、
物事を柔軟に考えるという発想が養われません。
「絶対に○○でなければならない」という意識が強化され、
正解は1つしかないという思い込みをすることになります。
もっとフレキシブルに考えることができれば、
他人の価値観にも理解を示すことができるはずです。
「あなたも正しいが私も正しい」
そう考えることができれば、
人間関係にストレスを感じることも減るでしょう。
何事も白黒つけないといけないのであれば、
他者を否定して人間関係を悪化させるか、
自分を否定して自己卑下に陥るかしかなくなります。
まとめ
日本人は多様な価値観を受け入れるのが苦手です。
子供のころから当たり前のように否定を受けて育つので、
社会に出ても否定されるのが当たり前の世の中になっています。
心が貧しい人が増えてしまったのは、
そういう背景が影響していると思います。
人間は理解してほしい生き物。
人々の心が離れてしまった現代社会では、
理解こそが一番求められるのではないかと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。