潜在意識と引き寄せの法則でどん底から人生逆転

カナダで失業、生活保護、人生どん底からの逆転。

「執着を手放す」と「執着しない」は全然違う



本日のテーマはこちらです。

 

普段ツイッターでつぶやくことはほとんどないのですが、ブログにツイート埋め込みをやってみたかったので、つぶやいてみました(笑)

 

願望実現には執着を手放す必要がある

執着を手放すということに関しては以前こちらの記事を書きました。

 

www.theloablog.com

 

引き寄せたい願望に執着しているということは、「今、その願望が手元にない」という気持ちの裏返しで、「なかなか引き寄せられない」と結果に執着することは、「願望が実現しなかったらどうしよう」という不安や恐れを感じているということです。

 

つまり、潜在意識レベルで感じている「今、その願望が手元にない」、「願望が実現しなかったらどうしよう」という部分が引き寄せられてしまうということです。

 

だから執着を手放すということは、引き寄せの法則を上手に活用するためには不可欠なのです。

 

「執着を手放す」と「執着しない」の違い

執着を手放すということと執着をしないということは全然違います。

「執着しない」ことは願望として引き寄せられることはありません。

 

例えば、海外旅行先を検討するときに名前も知らないような国に対して執着は感じませんよね。当然その国の情報が巷に流れていても、RASのフィルターはそれをキャッチしません。

ですから、その国に旅行に行くことは絶対にないでしょう。

 

同じようにまったく興味のないアーティストのコンサート情報が流れていても、その情報はスルーされます。

したがって、そのアーティストのコンサートに行くことはまずありえないわけです。

 

これが「執着しない」ということです。

 

「執着を手放す」ということは、一度執着をしてからそれを放すということです。

○○を手放すという表現をするとき、それは「持っているものを手元から遠ざける」という意味になります。
つまり一度は手元に持っておく必要があるということです。

 

執着をすると逃げるが手放すと寄ってくる

よくお金と女性は追いかけると逃げると言いますが、これはお金と女性だけに限ったことではありません。

 

例えばあなたに対して何かが猛烈なスピードで追いかけてきたら、反射的に逃げますよね。

男である自分も、美女が必死の形相で全速力で向かってきたら逃げます(笑)。

 

執着というのはずっと追いかけまわすということですね。
だからお金だろうが人間だろうが「逃げる」というのは当然の反応とも言えます。

 

でもずっと自分を付け回してきた存在が、ある日突然追いかけてこなくなったらどうしますか?

ちょっと気になりますよね。ひょっとしたら様子を見に行くかもしれません。

 

そして様子を見に行ったら、相手はいっさいあなたに興味を持っていなかったらどうでしょうか?

拍子抜けしたあなたは、もしかすると再度相手の気を引こうとするかもしれませんね。

 

説明が適切かわかりませんが、執着を手放すということはそれと同じことのように思います。

これに対して執着しないというのは、自分に一切関心を示さない通行人のような存在です。

 

執着の手放すと諦めるの違い

執着の手放し方については、冒頭にリンクを貼った記事の中に言及されている通り、「一度とことんまで執着をする」のが良いと思います。

 

とことんまで執着して、それでも願望を引き寄せることができなければ執着を手放さざるを得ないですよね。

そうすると、少し遅れて願望が引き寄せられてきます。

 

「それって諦めるってこと?」と疑問に思う方もいると思います。

 

僕は執着を手放すと諦めるということは似て非なるものだと定義しています。

もちろん諦めることによって、願望が引き寄せられることもあると思いますし、僕自身そういう経験をしたことがあります。

 

執着を手放すということは「委ねる」ということだと思います。

委ねるということは、そこには「信頼がある」ということです。

自分の人生を信頼しているからこそ、委ねることができるわけです。

 

以前どこかの記事で「成功とは時刻表のないバス停のようなもの」と話したことがあると思います。

多くの人はバスを待ちきれずに立ち去ってしまう。もうすぐそこまで来ているかもしれないのに。

 

このバスの例を使って、「委ねる」と「諦める」の違いについて説明します。

 

あなたはバスに乗り、「願望」という目的地に向かいます。でもそのバスには行先も到着時間も書いていません。

 

不安になったあなたはドライバーに詰め寄ります。
「願望に向かっているのか」、「いつになったら到着するのか」と問い詰めますが、ドライバーは何も答えず、ただ黙って運転を続けます。

 

これが「執着している状態」です。

 

そして待ちきれなくなったあなたはバスを降ります。あなたを降ろしたバスはどこかへ行ってしまいました。

 

あなたは諦めたのです。

 

これに対し、執着を手放した場合はどうなるかを考えてみます。

 

ドライバーにどんなに詰め寄っても、何も答えてくれない。

ありとあらゆる手を尽くしますが、一向に願望に到着する様子はありません。

 

あなたはドライバーに詰め寄るのを辞め、「もう好きにしろ」と座席に座ります。
やがてバスは願望という目的地に到着します。

 

これが「執着を手放した状態」です。

 

一見すると似ているようですが、微妙に違います。

後者の方は委ねているからです。

 

前者はバスを降りましたよね。ということは委ねていないということです。

 

そして後者が委ねた裏側には信頼があります。

だって、どこに連れていかれるかもわからないし、ひょっとしたらバスが崖から転落するかもしれませんよね。

信頼していなかったら、そのままバスに残ることはしないはずです。

 

おそらく願望にたどり着くことも期待していないと思います。

手はすべて尽くした結果、なすすべなく委ねているはずなので。

 

これが執着すると諦めるの違いです。

 

自分の人生を信頼しているからこそ、すべてをゆだねることができ、その結果願望が実現されるのです。

 

補足

プロスポーツ選手は子供のころから、プロになるという夢に向かって執着しているのに願望を実現しているじゃないか」という疑問を感じる人もいるかもしれないので、ちょっと補足しておきます。

 

これは僕なりの解釈になります。

 

確かに彼らは自分の夢に執着していると思います。でも「なれなかったらどうしよう」という不安よりも、「なれたらうれしい」というワクワクの感情のほうが強かったのだと思います。

 

だからワクワクの感情が引き寄せられた結果、願望を実現できたのではないかと考えています。

 

今日は以上です。

 

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。