今日は父の日でした。
息子作「父」(※注 せんとくんではありません)
今日は家族でイチゴ狩りに行ってきました。
父の日
普段忙しくてなかなか両親のことを考える暇がないので、父の日や母の日というのは自分にとって両親に感謝できるきっかけを与えてくれる大切な日です。
離れて暮らしているのでなかなか会う機会がないので、プレゼントは毎年忘れず送るようにしています。
自分が子供をもつ立場になって初めて、親の偉大さやありがたさというのが理解できるようになりました。
父の日は父親に感謝する日であると同時に、自分が父親であるという喜びを噛み締める日であると僕自身は考えています。
紆余曲折ありましたが、何とかここまでやってくることができたのは家族の支えがあったからだし、息子がいてくれたからというのも大きいです。
感謝をするのはお金がかからないし、感謝をする側の人間も幸せな気分になれるのでいいいことしかありません。
だから、自分の親だけでなく、その親やご先祖様に感謝するようにしています。
彼らのうち一人でも欠けたら、自分が今ここに存在することはなかったので。
そして、自分の人生に登場した人達のすべての親にも思いを馳せることもあります。
自分の人生に登場する人物は、どんな人であれ何かしらの意味があって自分の前に現れます。
彼らの存在によって自分の人生が形作られているので、もし彼らのうち1人でも存在していなければ、僕の人生はまったく別のものになっていたかもしれません。
例えば、パートナーが存在しなければ、自分の子供が生まれることはありません。
自分の会社の社長がいなければ、自分がその会社で働くことはなかったかもしれません。
今住んでいる家のオーナーがいなければ、自分は今この家に住んでいないかもしれません。
そう考えると彼らが存在してくれたことに感謝ですし、彼らをこの世に生み出してくれたその両親にも感謝できるのではないかと思います。
そうやって考えると、彼らも自分の一部であるという風に思うようになります。
それも抽象化思考の一つに思えます。
自分と彼らすべて含めて一つの存在であり、個々の人間がいることで自分の人生のバランスが取れているのではないかと思うときがあります。
この思考状態にいるときは、「他人も自分の(人生の)一部だから」という意識があるので、他人にも優しくできるし、他人の言動にイライラすることもなくなります。
まるで自分のためにすべて存在しているような不思議な感覚です。
なんか随分つかみどころのない内容になってしまいましたが、父の日は物質世界から精神世界へ導いてくれるきっかけをくれる日だということが伝えたかっただけです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。