かつて自分が人のせいにばかりしていたときは気づきませんでしたが、
自分の人生を自己責任で生きるようになってからは、
人や出来事のせいにしている人がやたらと気になるようになりました。
「○○のせい」というパラダイムで生きている人々です。
人生をいくつかのステージに分けるならば、
一番低いところにあるのがこのパラダイムです。
人生がうまくいっている人ほど他人のせいにしません。
それはうまくいっているから他人のせいにしないのではなく、
他人のせいにしないから人生がうまくいっているのです。
常に「あり方が先結果が後」だからです。
「○○のせい」というパラダイムのもたらす悲劇
いつも他人のせいにしている人は、
何度も同じ過ちを繰り返します。
「○○のせい」=「自分は悪くない」ということです。
自分は悪くないと思っているので、
一切反省することがありません。
そして反省しないので成長もしません。
成長しないので同じ過ちを繰り返します。
そしてまた他人のせいにするということを繰り返します。
他人が悪いという視点
「○○のせい」というパラダイムに生きている人は、
基本的に「他人が悪い」と思っています。
他人が悪いと思っているので、
他人の悪いところばかりが目につきます。
他人の悪いところばかりが目に付くので、
腹の立つ出来事が増えます。
そしてそのイライラを他人にぶつけます。
「お前のせいだ」と。
被害者意識の強い人は他人のせいにする傾向が強いですが、
そういう現実を創っているのは自分自身であるという自覚を持たないと、
永遠に被害者のまま生きることになります。
傲慢な生き方
「○○のせい」の対義語は「○○のおかげ」です。
「○○のおかげ」というパラダイムで生きている人は、
人生の中に感謝が増えます。
他人の良いところばかりが見えるので、
イライラすることも少ないです。
「○○のせい」という姿勢は感謝とは対極にあります。
感謝の気持ちがあるならば、
「○○のせい」などとは絶対に言わないからです。
つまり、他人に対して感謝のない傲慢な生き方だということです。
人間はお互いが支え合って生きています。
どんなにムカつく人であっても、
生きている限り何かしらの貢献はしているわけです。
その人から直接恩恵を受けることはなくても、
その人が経済活動をすることによって、
まわりまわって自分のところにお金がやってきます。
ということは、そのムカつく人も自分の役に立ってくれているということです。
他人のせいにすることは、
「生かされている」という事実を無視した神への冒涜行為。
天が味方してくれないのも無理はありません。
人生の責任放棄
「○○のせい」という発言をする理由はなんでしょうか?
日常生活でその言葉を使う時をイメージしてみてください。
「○○のせい」という発言をするときは、
「自分に責任はない」と主張するときです。
つまり、「○○のせい」にするということは、
人生の責任放棄をしているということです。
- 親が悪い
- 会社が悪い
- パートナーが悪い
- 国が悪い
挙げればきりがありませんが、
こういう発言をする人たちは、
自分の人生を自分以外のものに
コントロールされることになります。
自由には責任が伴います。
責任を負いたくなければ、
何かに依存することになります。
つまり、責任を放棄するということは、
自由を放棄することでもあるということです。
まとめ
人のせいにするのはカンタンです。
しかし、そのパラダイムで生きる限り、
人生のステージが上がることはありません。
自分の人生を自分でコントロールすることもできなくなります。
常に他人軸で生きることになり、
出来事に反応する生き方しかできなくなります。
「○○のせい」と思えるようなことも、
元を正せば自分が原因を作っていることも多いです。
というかほとんど自分が原因を作っています。
その事実に気づくことができれば、
「○○のせい」というパラダイムから抜け出すことができるでしょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。