最近ずっと忙しくて、なかなかゆっくりする時間がとれなかったのですが、今日は久しぶりにのんびりする時間をとることができました。
おかげでしばし放置していた読書ブログ(サイドバー参照)も更新することができ、満足しています。
今までは少しでも空き時間ができれば、パソコンに向かって何か作業をしている状態でした。
のんびりしていると落ち着かない、「何もしない」ことに罪悪感を感じている毎日でした。
でも、そういうときこそ「何もしない時間を持つ」ことがとても大切なんですよね。
休憩するという意味ではなく、本当に何もしない、何も考えない時間です。
空白の時間を持つ
何もしない時間を持つということは、休みなく行動し続けるよりも実は生産性があがる傾向があります。
常に動き続けているほうが「行動している感」があるので良いように思えますが、実は脳みそも疲れているし、集中力も低下しているので非生産的なんです。
でも、何もしないでいるのは気持ちが落ち着かないから、行動しない時間をもつことに心理的ブレーキを感じてしまいがちです。
皆さんは1週間にどれぐらい「空白の時間」を持っていますか?
空白の時間とは何もしない、何も考えない時間です。
ちなみに僕はゼロでした。
仮に何もしない時間ができたとしても、頭の中は自分のやるべきことでいっぱいの状態でした。常になにかしらのことを考えている状態です。
でも実際に空白の時間を持ってみて、見えるようになって来たものがあります。
だからこれからは1日に5分でもいいので、空白の時間を持つようにしたいと思っています。
思考と感覚
空白の時間を持つと思考が消えます。
思考が消えるとより感覚が研ぎ澄まされ、いろいろなものを感じることができるようになります。
日の光や風が肌にあたる感覚、鳥が鳴いている声など。
普段は意識していないと気づかないものが、とてもクリアに感じることができるようになるのです。
よくよく考えてみると、思考と感覚のバランスはどちらかが優位の時、もう一方は「ほぼ無いに等しい」状態だということがわかりました。
頭で何かを考えているときというのは、感覚を感じづらいと思いませんか?
もしくは何か感じながら思考をするのは難しくないですか?
「思考と感覚は同時に存在することはまったく不可能である」とまではいいませんが、どちらかが鋭いとき、どちらかは鈍くなるというのは間違いないように思います。
生きている実感・生かされている実感
思考よりも感覚が優位になった時、もしくは思考が完全に消え去った時、生きている実感・生かされている実感を感じることができるようになる、ということが空白の時間を持つようになってわかりました。
言葉で説明するのが難しいですが、「生きてるんだな」とか「自分はいろんなものに生かされているんだな」という気持ちを感じるようになります。
特に自然に囲まれている状態で「空白の時間を持つ」と、そういう感覚がよりいっそう強くなります。
「宇宙を感じる」と言ったらおおげさかもしれませんが、ただそこに存在しているだけの自分を高い視野から見ているような感覚です。
自分の悩みや苦しみなどとてもちっぽけに感じられます。
そして、自分はいろんな恵みに生かされているのだな、という感謝の気持ちが湧いてきます。
こういう状態って常に忙しく動き回っていたら、絶対に感じることができないと思うんですよね。
だから、からっぽになる時間って絶対に必要だと思うんです。
幸せって、思考するものじゃなくて感じるものですからね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。