硬いものは衝撃を吸収しないので、
ぶつかり合うとダメージが大きくなります。
柔軟性のあるものは衝撃を吸収するので、
ぶつかったとしてもダメージは大きくありません。
物質だけに限らず、すべてにおいて柔軟性がある方が楽です。
柔軟性のない生き方は苦しくなります。
柔軟性がないということは一つのこと(もの)に固執すること。
別の言い方をすると、何かに依存しているということです。
その中でも一番影響が大きいのが信念です。
現実はすべて自分の解釈によって作られるのだから、
自分の考え方が変わらなければ、
もたらされる結果は同じ事になってしまうからです。
柔軟性のある生き方は誰でもできます。
自分自身は好きなようにコントロールできるからです。
柔軟性のある人間関係
相性の良くない人との人間関係はうまくいきません。
通常僕たちはこういった状況に遭遇した場合、
相手に問題があると考えてしまいがちです。
「○○さんが○○だから○○なんだ」
のように相手のせいにしてしまうということです。
人間関係は相互にかかわりあって成立するものなのだから、
必ずしも相手だけに問題があるとは限りません。
その相手とうまくやっている人がいるのであれば、
自分の付き合い方に問題があるかもしれないわけです。
仮に相手が人間的に問題のある人物であったとしても、
その人と関わると選択したのは自分自身です。
そして、どうしても関わらざるを得ない状況であったとしても、
その人との人間関係で生じる出来事の解釈は自分で選択できます。
「不快な気分になる」という選択もできれば、
「気にしない」という選択もできます。
相手に非があると思っているとき、
自分の接し方に問題があるとは考えません。
つまり、相手に対するアプローチ方法が変わらないということです。
相手に対するアプローチが変わらなければ、
相手の反応も毎回同じような感じになります。
そして、その反応に対する解釈の仕方も変わっていないので、
結局同じ感情を感じることになってしまうというわけです。
コントロールできないものをコントロールしようとすると苦しくなります。
他人はコントロールできないのだから、
他人をどうにかしようとするとストレスを感じます。
その人自身は変わらなかったとしても、
自分自身が変われば得られる結果も変えることができます。
「イライラしない」という選択をする自分になれば、
相手がいつも通りの反応をしてもイライラしなくなるわけです。
僕たちはなぜ他人をコントロールしたいと思うのか?
それは自分の都合のいいように他人に動いてほしいからです。
ではなぜ、自分の都合のいいように動いてほしいのでしょうか?
直接的な理由はたくさんあると思いますが、
根本にある理由は「いい気分でいたいから」だと思います。
ならば、自分自身が変わっていい気分でいればいいだけです。
他人が自分の思い通りに動かないからイライラする。
その「他人のせいにする」という在り方自体が、
イライラを生み出しているわけです。
「他人はどうあれ自分はイライラしない」
という在り方をしていれば、
相手に対してイライラすることはないからです。
柔軟性のある人間関係とは、
相手を変えるのではなく自分が変わること。
それは相手のためではなく自分のためです。
関わる必要のない人間であれば距離を置くのがいいですが、
どうしても関わらないといけない相手の場合は、
自分の在り方を変える方が楽です。
自分の軸さえしっかりと持っていれば、
表面的なものが変わっても信念まで変わることはないです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。