コロナの影響で外出自粛が続く日々。
自分と向きあう時間が増えたという人も
多いのではないでしょうか?
僕も昨日久々に買い物へ行きましたが、
それまではずっと家にこもってました。
昼間は子供の相手をしないといけないので、
夜中に仕事をしています。
いつもは子供が寝てから夜通し仕事をするのですが、
今日はひさびさに子供と一緒に寝て、
0:00に起きる予定が2:40に妻に起こされ、
あわててブログを書いています。
無駄な1日があるのではなく、1日を無駄に過ごしただけ
何もしない、何もできない日々が続くと、
「無駄な1日を過ごした」と思うことがあるかもしれません。
人生は持ち時間が決まっていて、
僕たちは毎日持ち時間が減っています。
その短い持ち時間でできることなんてごくわずかです。
時間を無駄にする余裕などありません。
生きるために働くことは否定しませんが、
本当にそれで人生に悔いはないでしょうか?
ひとりで考える時間ができた今だからこそ、
自分の人生についてじっくり考えてみるのがよいと思うのです。
「何もしない=時間の無駄」ではありません。
「時間を無駄にした」と思っているから時間の無駄になるだけで、
そもそも無駄な時間など存在しません。
何もしない時間を休息・充電時間だと考えることもできます。
そう考えると、その時間は自分の人生にとってプラスになります。
何か特別なことをすることだけが重要なのではありません。
「同じ毎日の繰り返し」にうんざりしてしまうのは、
自分がそういう考え方をしているからにほかなりません。
「家族と一緒にご飯を食べる」という当たり前の行為も、
考え方ひとつで意味のあるものに変わります。
「つまんない1日だった」と思えばその日はつまらない1日になるし、
「有意義な時間だった」と思えば有意義な時間に変わります。
無駄な時間があるのではなく、
自分で時間を無駄しているだけです。
スペシャルな出来事だけが素晴らしいのではありません。
もし今の当たり前の生活がなくなったら、
今の生活がいかに幸せだったか気づくでしょう。
「何もしない時間に意味を見出せない」という人もいるかもしれません。
でも実際は「何もしない」のではなく、
自分自身で「何もしない」という選択をしただけです。
仮に外出することができなかったとしても、
家の中でできることはたくさんあります。
その数ある選択肢の中で「なにもやらない」という選択をしただけです。
やることがなかたとしても、人生について考えたり、
自分自身を見つめなおすことだってできたはずです。
「ダラダラと無為な時間を過ごした」と思うから無為な時間になるだけで、
その行為によって自分が喜んでいるのであれば、それは決して無駄な時間ではありません。
結局のところ、無駄な時間というものは存在しないのです。
無駄な時間があるとしたら、それは自分の考え方がそうさせているだけです。
歩き続ける事だけがすべてではありません。
時には立ち止まることも必要です。
休みなく歩き続けて途中で倒れてしまっては意味がありません。
コロナのせいで仕事がなくなったのであれば、
それはあなたにとって立ち止まる時間だったということです。
(これも本人の考え方次第です)
「時間は無限にある」と錯覚しているがゆえに、
時間を無駄にしてしまっている人があまりにも多い気がします。
「時間こそが一番価値があるものだ」と気づくと、
無駄な時間を過ごすことがなくなり、人生が輝き始めます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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