僕たちは常に何かと勝負しています。
人間には競争本能があるので、他人と比較したり争ったりすることは、ごく自然な人間の習性だと思います。
かつては勝ち負けに価値があった時代もありますが、
今の時代、勝ち負けにこだわることは個人の幸せを遠ざけてしまうような気がします。
いつも「勝たなければならない」という意識を持ちながら生きるのは苦しいです。
特に、他人との勝負の場合は自分がコントロールできない要因も多いので、
勝負にこだわることはストレスにもつながります。
そして、勝負というのは他人に対してだけでなく、自分に対しても行われています。
潔く負けを認める
僕たちはついつい自分に負けてしまうことがあります。
というか、自分に勝つことはまれで負けている割合のほうが圧倒的に多いです。
「やらなければならないことがあるのに、ついつい自分に負けてサボってしまった」
なんてことは誰でも1度は経験があるはずです。
そして、自分に負けてサボってしまったことに激しい怒りや後悔を感じ、自己嫌悪に陥ってしまいます。
もちろん行動できることに越したことはありませんが、
どうしても自分に負けてしまったときは、潔く負けを認めてみてください。
「サボりたい」というのは心の叫びです。
その声に従うというのは、(もう一人の)自分の気持ちを尊重していることでもあります。
決して悪いことではありません。
問題なのはその声に従った自分を責めて自己嫌悪に陥ることです。
できないのはやる必要がないから
この世界では、自分に必要なものはすべて手に入るようになっています。
つまり、それが手に入っていないということは、今のあなたには必要がないということです。
行動も同じです。
「やらなければならない」と感じているのに行動できないのであれば、
それはやる必要がないということです。
実際にそれをサボってしまっても、僕たちはこうして無事に暮らしていますよね?
ということはそれをやらなくてもよかったということです。
「やらなければならない」というのは、ただそう思い込んでいただけです。
さきほど、「サボりたい」という心の声に従ったときは、潔く負けを認めてください、と言いましたが、サボってしまうと人生において大問題につながるようなことに関しては、「サボりたい」などという声を発することはありません。
僕たちの心は自分のことを誰よりも大切に思っています。
「行動すること」と「行動しないこと」の痛みを天秤にかけて、感情という形で僕たちにメッセージを届けてきます。
大抵の場合、行動することのほうが苦痛が伴うので「サボりたい」という感情が湧いてきます。
しかし、行動しなければ命の危険が及ぶ場合などは、どんなに苦痛を伴う行動でもサボりたいと感じることはありません。
人間本当に追い込まれたら、「やるしかない」と思うようになります。
逆に言うと、そう感じないということはやる必要がないということです。
無理をしない
誤解なきように言っておきますが、「自分に負けてもいい」というのは「堕落してもいい」ということとは違います。
「堕落する」というのは自分を大切にする行為ではありません。
むしろ自分をどんどんダメにしていくような行為のことです。
バリバリ働いたりしていると、体が「休みたい」と言ってくることがあります。
そういうときは、やらなければならないことがあっても体を休ませてあげるのがいいと思います。
そこで休まずに無理して体を壊してしまえば、
自分や自分の大切な人達を守ることができなくなります。
休みの日ぐらい家でゴロゴロしていてもいいと思います。
それで体が喜べばもっといい結果が出せるようになります。
「頑張らないと駄目な人間になるのでは?」と思うかもしれませんが、
本当に頑張らないといけない場面では、どんなに「頑張るな」と言われても頑張ってしまうものです。
自分に負け、行動できなかったのは自分の心の声を尊重したからです。
だから、潔く負けを認めて自分を責めないであげてください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。