コロナウィルス騒動によって、
外出自粛を余儀なくされたり、
働きたくても働けない人がいます。
こういう不自由があるからこそ、
今まで当たり前だったものに感謝できるようになります。
みんな自分の人生に何かしらの不自由を感じています。
やりたくもない仕事をしているのも、
付き合いたくない人と付き合っているのも、
欲しいものが欲しいときに買えないのも、
根本を辿っていけばすべて不自由にたどり着きます。
人生の中に不自由が増えれば増えるほど、
幸福度は低くなります。
自分のコントロールできないことに意識を注ぐのは、
自ら不自由を感じようとしているようなものです。
だから、自分のできることだけに意識を注ぎ、
自分の力でどうすることもできないことは、
考えない方がよいのです。
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自由は外側にあるものではない
「自由になりたい」
「自由に働きたい」
「自由にお金を使いたい」
このように考えている人は、
「自由=自分の外側にあるもの」だと思っています。
「やりたくもない仕事をやっているから自由ではない」
「好きなようにお金を使えないから自由ではない」
と考えているということです。
このような思考を持っている人は、
永遠に自由になることはできません。
目の前の問題が解決しても、
別の何かに不満を感じるようになるからです。
いわゆる「欠乏マインド」と呼ばれるものです。
水が半分入っているコップを見て、
「半分しかない」
と考える思考パターンのことを「欠乏マインド」と呼びます。
要するに、「自分の考え方のせいで不自由に感じているだけ」だということです。
欠乏マインドを持っていると、
常に無いものねだりを繰り返すことになります。
「○○が手に入れば自由になれる」
と自分の外側に自由があると思い込んでいますが、
その考え方を持っている限り、自由を感じることはできません。
全く同じ状況でも、幸福を感じる人もいれば、
文句や不満を言う人もいます。
要するに外的要因は関係ないということです。
つまり、自分の物の見方に問題があるということです。
「自由に生きる」の本当の意味
さきほどお話ししたとおり、
自由というのは外的要因によって得られるものではありません。
「○○だったらいいのに...」
という考え方自体が、「私は不自由です」と言っているようなものです。
ところで、「やりたくもない仕事をやっている人」や、
「自由にお金を使いたい」と思っている人は、
本当に自由ではないのでしょうか?
答えは「NO」ですね。
やりたくもない仕事をやると決めたのは自分だし、
何にお金を使うかを決めているのも自分です。
僕たちは自由に行動を選択することができるのです。
「会社に行かない」という選択ができるにもかかわらず、
「会社に行く」という選択をしているだけです。
「自分の人生はすべて自分が決める」
このように考えることが「自由に生きる」の本当の意味です。
生きていればよいこともよくないことも起こります。
僕たちは良くないことが起こった時にマイナス感情を感じますが、
それは自らマイナス感情を感じるという選択をしているだけです。
「私はどんなことがあっても自分の感情は自分で決める」
という強い信念があれば、
落ち込むような出来事があっても心が乱れることがありません。
出来事はコントロールできなくても、
解釈の仕方は自由に決めることができます。
やりたくない仕事でも自らの意志で選んでいるのだと気づけば、
自分はすでに自由であるということがわかるはずです。
まとめ
どんな人でも自由になることはできるし、
僕たちはすでに自由を手に入れています。
「自分の人生はすべて自分で決める(決めている)」
この意識を持つだけで誰でも自由に生きることができます。
外的要因はこの意識を持つためのきっかけに過ぎず、
そこに自由があるわけではありません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。