潜在意識と引き寄せの法則でどん底から人生逆転

カナダで失業、生活保護、人生どん底からの逆転。

「自由に生きる」の本当の意味

コロナウィルス騒動によって、

外出自粛を余儀なくされたり、

働きたくても働けない人がいます。

 

こういう不自由があるからこそ、

今まで当たり前だったものに感謝できるようになります。

 

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みんな自分の人生に何かしらの不自由を感じています。

 

やりたくもない仕事をしているのも、

付き合いたくない人と付き合っているのも、

欲しいものが欲しいときに買えないのも、

 

根本を辿っていけばすべて不自由にたどり着きます。

 

人生の中に不自由が増えれば増えるほど、

幸福度は低くなります。

 

自分のコントロールできないことに意識を注ぐのは、

自ら不自由を感じようとしているようなものです。

 

だから、自分のできることだけに意識を注ぎ、

自分の力でどうすることもできないことは、

考えない方がよいのです。

 

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自由は外側にあるものではない

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「自由になりたい」

「自由に働きたい」

「自由にお金を使いたい」

 

このように考えている人は、

「自由=自分の外側にあるもの」だと思っています。

 

「やりたくもない仕事をやっているから自由ではない」

「好きなようにお金を使えないから自由ではない」

 

と考えているということです。

 

このような思考を持っている人は、

永遠に自由になることはできません。

 

目の前の問題が解決しても、

別の何かに不満を感じるようになるからです。

 

いわゆる「欠乏マインド」と呼ばれるものです。

 

水が半分入っているコップを見て、

 

「半分しかない」

 

と考える思考パターンのことを「欠乏マインド」と呼びます。

 

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要するに、「自分の考え方のせいで不自由に感じているだけ」だということです。

 

欠乏マインドを持っていると、

常に無いものねだりを繰り返すことになります。

 

「○○が手に入れば自由になれる」

 

と自分の外側に自由があると思い込んでいますが、

その考え方を持っている限り、自由を感じることはできません。

 

全く同じ状況でも、幸福を感じる人もいれば、

文句や不満を言う人もいます。

 

要するに外的要因は関係ないということです。

 

つまり、自分の物の見方に問題があるということです。

 

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「自由に生きる」の本当の意味

さきほどお話ししたとおり、

自由というのは外的要因によって得られるものではありません。

 

「○○だったらいいのに...」

 

という考え方自体が、「私は不自由です」と言っているようなものです。

 

ところで、「やりたくもない仕事をやっている人」や、

「自由にお金を使いたい」と思っている人は、

本当に自由ではないのでしょうか?

 

答えは「NO」ですね。

 

やりたくもない仕事をやると決めたのは自分だし、

何にお金を使うかを決めているのも自分です。

 

僕たちは自由に行動を選択することができるのです。

 

「会社に行かない」という選択ができるにもかかわらず、

「会社に行く」という選択をしているだけです。

 

「自分の人生はすべて自分が決める」

 

このように考えることが「自由に生きる」の本当の意味です。

 

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生きていればよいこともよくないことも起こります。

 

僕たちは良くないことが起こった時にマイナス感情を感じますが、

それは自らマイナス感情を感じるという選択をしているだけです。

 

「私はどんなことがあっても自分の感情は自分で決める」

 

という強い信念があれば、

落ち込むような出来事があっても心が乱れることがありません。

 

出来事はコントロールできなくても、

解釈の仕方は自由に決めることができます。

 

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やりたくない仕事でも自らの意志で選んでいるのだと気づけば、

自分はすでに自由であるということがわかるはずです。

 

まとめ

どんな人でも自由になることはできるし、

僕たちはすでに自由を手に入れています。

 

「自分の人生はすべて自分で決める(決めている)」

 

この意識を持つだけで誰でも自由に生きることができます。

 

外的要因はこの意識を持つためのきっかけに過ぎず、

そこに自由があるわけではありません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。