この人間社会では、「ある方法」を使うと嘘を本当にすることができます。
そして、嘘が本当になった事例というのはたくさんあります。
中には、当初は嘘でなかったのに時代の流れによって嘘になってしまったものもあります。
この「ある方法」というのは非常に強力です。
一種の催眠術のようなもので、ひとたびそれにかかってしまうとなかなか目を覚ます(真実に気づく)ことができなくなります。
ほとんどの人は、その催眠から目覚めることがないまま一生を終えます。
嘘を本当にする方法
誤解無きにように先にお伝えしておきますが、この催眠状態が絶対的にダメだということが言いたいわけではありません。
催眠状態にかかっていても本人が幸せならそれでいいと思います。
ただ僕が見る限り、この催眠状態から目覚め自由になった人ほど、幸せな人生を送っているように思えます。
もっと言うと、幸せな人生を送っている人は全員、この催眠から目覚めていると言えます。
勘のいい方はもうお気づきでしょう。
この催眠とは「常識」のことです。
「常識=人生の真理ではない」とどこかでお話ししたことがあります。
つまり、人生の真理と相反するような生き方であっても、常識さえ作ってしまえば「その生き方こそが正しい」と人々を導くことができるということです。
嘘を本当にする「ある方法」=常識を作る方法は非常にシンプルです。
多数派の意見を扇動することさえできれば、嘘を本当にすることなど簡単です。
もっとも一般的な方法は、この記事でも登場した「マスメディアを利用する」という方法です。
日本人は特にマスメディアの影響を受けやすいので、テレビの情報をそのまま鵜呑みにしてしまいがちです。
例えば、あなた以外すべての人が「1年後に地球に隕石が落下して地球は滅亡する」と信じていた(催眠状態にあった)とします。
しかし、実際そんな根拠はどこにもなく、根も葉もないでたらめであることをあなただけは知っています。
あなたは周囲の人間に「あんな噂はでたらめだ」と必死に説いて回るのですが、
催眠状態にある人々は誰も信じようとしません。
むしろあなたのことを「頭のおかしい人」として見るようになりました。
すると、あなたは次第に「ひょっとしたら地球に隕石が落下するのは本当なんじゃないか」と思うようになります。
そして、ついにあなたは「地球に隕石が落下する」と信じるようになってしまいました。
一度思い込んでしまったら、それがその人にとって真実となります。
事実であるかどうかは関係ありません。
実際に隕石が落下しなかったとしても、「隕石が落下する」と恐怖に怯える世界に生きていているのであれば、それが現実化しているのと同じことです。
代表的なお金にまつわる催眠
日本は貯金文化が根付いていますね。
僕たちは生まれてから今まで、貯金をすることが当たり前の世界で生きてきました。
実は日本人がこれだけ貯金をするようになったのは、戦争中に軍事費をねん出するため、国が貯金を促すように国民を心理誘導したことが原因だと言われています。
その名残はいまだに僕たちの心に深く根付いていて、世代を越えて日本人の常識となっています。
かつては金利が良かったので、「貯金をすること=正しい」という時代もありました。
ただ、「今の日本では貯金をすると損をする」という事実に気付いている人は少ないです。
預金額から得られる金利と、お金をおろすときにかかる手数料を比較したとき、
どちらのほうが大きいでしょうか?
そして、物価は年を経るごとに上昇していきます。
物価が上がるということは、逆に言うとお金の価値が下がるということです。
物自体は同じなのだから物の価値が上がったわけではなく、お金の価値が下がったという理屈はわかると思います。
つまり、今ある1万円は数年後には8000円の価値しかないかもしれないということです。
そうすると、今1万円札で買うことができるものが、数年後には1万円札で買えなくなるということです。
もし今100万円の貯金があるならば、それは数年後には80万円分の価値しかなくなるということです。
同じものを購入するのであれば、安いうちに買うに越したことはないですよね。
お金のIQが高い富裕層の間では「貯金をする(現金を預ける)と損をする」ということは、当たり前になっています。
だからこそ彼らは、(実質的価値を持たない)お金を不動産や金(きん)、芸術品やアンティークコインなどの実質的価値のあるものに交換しているのです。
仮にお金の価値が下がったとしても、それらのものの価値が失われることはありません。
「老後が不安」というのがスローガンのように唱えられていますが、
あれも貯金文化を助長させるような心理誘導のような気がします。
数十年後の心配よりも、まずは今どう生きるかのほうがよっぽど大切です。
心配しても怒らないことは起こらないし、
対策しててもどうすることもできないこともあります。
要するに考えても仕方ないということです。
せっかくの人生の貴重な時間を不安や恐怖に支配されるのはもったいないです。
常識をアップデートする
常識に沿って生きることは安心です。
常識というのは多数派ですから、仮にそれで被害を被ったとしても孤独感を感じることはありません。
人間は孤独を恐れる生き物なので、自然と多数派に所属するようになります。
これは一種の生存本能ではないかと思います。
僕は「常識が絶対的に間違っている」ということが言いたいわけではありません。
昔は正解だったことも、時代の変化とともに正しくなくなって来ている常識もあるということです。
時代は変わっているのに、人々の考え方は変わらないまま。
だから人生が苦しくなってしまうのだと思います。
「時代の流れに合わせて常識もアップデートする必要がある」ということです。
- 我慢こそ美徳
- 自分を抑制し他者貢献することこそあるべき姿
- 好きなことを仕事にするなど夢物語
- いい大学を出て大企業に就職すれば一生安泰
これらはすべて古い常識のままアップデートされることもなく、現在も残っているものたちです。
もちろんこれ以外にもあります。
自分の苦手なことや嫌いなことを仕事にしてしまうと、苦痛が何倍にもなります。
興味も適正もないから結果も出せずにどんどん状況は悪化していきます。
徐々に世の中の意識は「好きなことを仕事にする」のが当たり前になりつつありますが、いまだに「仕事=嫌なことに耐えて生きるためのお金を稼ぐ手段」という考えもまだまだ残っています。
確かにいい大学を出て大企業に就職すれば、一生安泰な時代もありました。
当時はその常識に従っていれば幸せになることができたんです。
しかし、その常識は時代の流れについていけなくなりました。
古い常識は時代の流れに合わせてアップデートしなければなりません。
自分のことを好きな人間は世間から批判されます。
それは調和を重んじる日本人だからこそ、「自分好き=利己的で自己中心的、つまり悪」だという思い込みがあるからに他なりません。
戦後の日本は、経済発展のために個人の幸福よりも大衆を優先する必要がありました。
人々が自分を優先し、それぞれの人がバラバラで一致団結することがなければ、
日本がここまで経済発展することはなかったでしょう。
でも経済が成熟しきった現代では、個人を抑制して周囲の生き方に合わせる必要はなくなりました。
時代の流れは個人の時代になりつつあるのに、人々の常識は変わらないままです。
自分を大切にする人は、他人にも優しくなれます。
だから、自分を好きになることは決して悪ではありません
今日本に閉塞感が漂っているのは、自分よりも他人を優先し、自分を大切にせずに自分を責め続けているからです。
人々の心は荒み、心の余裕がない人で溢れ、他人に優しくすることができなくなっているのだと思います。
僕たちが当たり前のように真実だと思っていることも、
実は多数派の意見が扇動されることで、嘘を本当に見せかけているだけかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。