徳について定義するためにWikipediaを調べてみると、
以下のような記述があります。
徳は人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。
徳は卓越性、有能性で、それを所持する人がそのことによって特記されるものである。人間に備わって初めて、徳は善き特質となる。人間にとって徳とは均整のとれた精神の在り方を指すものである。これは天分、社会的経験や道徳的訓練によって獲得し、善き人間の特質となる。徳を備えた人間は他の人間からの信頼や尊敬を獲得しながら、人間関係の構築や組織の運営を進めることができる。徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが個々の徳目と位置付けることができる。
なんのこっちゃいまいち意味がわかりません。
僕なりに超簡単に定義すると、
「(見返りを求めない)善い行い」を指すのではないかと考えています。
人間がもっとも幸福感を感じる瞬間は、「他者貢献をしたとき」だと言われています。
したがって、徳を積むことを探究することは、
人生における最大の幸福を追い求めることであると言えます。
マズローの五段階欲求
人間には五段階の欲求があると言われています。
これはマズローの五段階欲求と呼ばれ、
一番下から順番に生理的欲求、安全欲求、親和欲求、承認欲求、自己実現欲求の順番になっています。
下位の欲求を満たさないことには、上位の欲求を感じることはありません。
腹ペコで寝不足の状態で「他人に認められたい」とか「人の役に立ちたい」とは思えませんよね?
自己実現欲求とは最も上のステージにある欲求で、
他のすべての欲求が満たされたときに感じるようになります。
自己実現と表記していますが、正確には「他者貢献」のことです。
もしあなたが時間・お金・健康・人間関係すべてを満たされた状態だとしたら、
きっと「誰かの役に立ちたい」と思うようになるはずです。
このステージで求められる資質が「徳」です。
他者貢献の種類
他者貢献と言ってもいくつかの種類があります。
自分の利益のためにする他者貢献もあります。
ビジネスはこれに該当します。
個人レベルでも「他人からよく見られたいから善い行いをする」ことがありますね。
これは見返りを期待した他者貢献だと言えます。
そして、見返りを求めない他者貢献があります。
これが「徳を積む」ということです。
そして、さらに上位の他者貢献が「陰徳」です。
陰徳とは、「人知れず(見返りを求めない)善い行いをする」ことです。
陰徳を積めば積むほど人生に良い出来事が起こるようになります。
「徳」を積むために手放す「得」
徳を積むためには損得勘定を捨てなければなりません。
損得勘定があるということは、「見返りを期待している」ということだからです。
「一方的に与えて何も求めない」=Give and Giveの精神がないと、
徳を積んでいるとは言えません。
ここからは僕の体験談をシェアしたいと思います。
僕が働く職場には複数のインド人がいます。
インド人は約束を破るし順番も守りません。
毎回違うインド人が「5分だけ使わせて」と言って僕の作業道具を借りに来るのですが、5分で返しに来た人はゼロで9割は返却すらしません。
列に並んでいても普通に割り込んできます。
(しかもいっさい断りがない)
最初の頃は彼らの在り方にイライラしていましたが、
それは「インド人だから」という観念と損得勘定が僕の中にあったからです。
道具を貸して返ってこない=自分が損した
割り込みされた=自分が損した
こういう気持ちがあったからこそ、彼らの態度に腹が立ったのだと思います。
僕のケースは与えたのではなく奪われたことになるわけですが、
その根底に損得勘定があったことに気づき、よい学びになりました。
相手が喜ぶのであればそれでいいし、
得を手放すことで自分もイライラせずに済む。
損得で判断して怒りを相手にぶつけていたら、
人間関係がギクシャクするだけで何もいいことはなかったと思います。
誤解なきように言っておきますが、
僕は「自己犠牲」をしろと言いたいのではありません。
損得勘定で怒りを感じるのであれば、
結局自分が損をしていることになります。
だったらそんな「損得」は手放して、ニュートラルな気持ちでいるほうが自分にとってプラスになると思うのです。
僕はまだまだ徳を積むステージにはいませんが、
完全に得を手放し、失うことに心がブレなくなることがその第一歩だと考えています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。