日本では謙虚こそ美徳とされる文化なので、
謙虚でいることが絶対的に正しいとされる風潮があります。
僕も謙虚でいることは良いことだと思います。
傲慢な態度は自分にも他人にもプラスにはならないからです。
僕は謙虚には2種類あると思っています。
1つはやったほうがいい謙虚で、
もう一つはやらないほうがいい謙虚です。
多くの人はこの2つを同じものだと考えていて、
やったほうがいい謙虚とやらないほうがいい謙虚を逆にしてしまっています。
やったほうがいい謙虚をやらず、
やらないほうがいい謙虚をやっているということです。
やらないほうがいい謙虚
このブログを読んでくれている方は、
やらない方がいい謙虚についてだいたい察しがつくのではないでしょうか?
やらない方がいい謙虚とは...
「私なんて全然だめです」
といったような自分を貶めるような発言をすることです。
このような自分を否定するような発言をしていると、
どんどんセルフイメージが下がっていきます。
言葉と思考のつじつまが合わない場合、
脳はどちらかに帳尻を合わせようとします。
脳は2つの異なるものを同時に認知することができないからです。
これを認知的不協和といいます。
言葉はエネルギーです。
自分の発する言葉を一番聞いているのは自分自身なので、
そういう言葉を繰り返し浴びているうちに、
脳がその発言を現実だと錯覚するようになってしまいます。
「私なんてたいしたことないですよ」
と言っているうちに、本当に大したことない人間にだと脳が思い込んでしまうということです。
やったほうがいい謙虚
やった方がいい謙虚とは「おかげさま」の姿勢で生きることです。
人生がうまくいっているときもうまくいかないときも、
「○○のおかげ」という気持ちを忘れないということです。
言い換えると感謝の気持ちを忘れないということです。
この謙虚は自分を貶めているわけではありません。
したがって、セルフイメージが下がることはありません。
人生がうまくいっているときはついつい有頂天になってしまい、
感謝の気持ちを忘れてしまうことがあります。
そういうときこそ、「○○のおかげ」という謙虚な姿勢にならなければなりません。
ポジティブに偏りすぎた軸をニュートラルに戻すためです。
人生がうまくいっているときだけでなく、
うまくいかないときも「おかげさま」を忘れてはいけません。
人間はひとりで生きていくことはできません。
↓
僕たちはいろんなものに生かされているんです。
いろんなものとは他人の存在だけではありません。
空気や水があるのも生かされているからに他なりません。
どん底体験が人生に訪れるのは、
そういう当たり前の「おかげさま」に気づかせてくれるためです。
恵まれていることが当たり前になると、
そういう存在に気づくことができなくなるのです。
宇宙を味方につけるか敵に回すか
前者の謙虚は宇宙を敵に回し、
後者の謙虚は宇宙を味方につけます。
言い換えると、前者は運が悪くなり後者は運が良くなるということです。
感謝の気持ちを忘れない人は世間が応援してくれますよね?
当然チャンスが回ってくる可能性も高くなります。
困ったときにも誰かが必ず助けてくれます。
それに対し、自己否定ばかりしている人はチャンスが巡ってきても、
セルフイメージが低いので成功に委縮してチャンスを逃してしまいます。
そもそも自己否定をすることは、自分を(生んで)育ててくれた親に対して失礼です。
ご先祖様にも失礼です。
自分にギフトを与えてくれた宇宙にも失礼です。
「自分はダメな人間である」
と自己否定をすることは、自分に与えられたギフトを受け取らず、
「そのギフトを使って他人を幸せにする」という人生の役割を放棄しているようなものです。
宇宙がそんな人を味方してくれるわけがありません。
まとめ
多くの人は「おかげさま」の気持ちを忘れていて、
「自分は大したことない」と思い込んでいます。
「やったほうがいい謙虚とやらないほうがいい謙虚が逆になっている」
というのはつまりそういうことです。
自分を貶めるような発言をすることは、
結局「他人から良く見られたい」という動機があるからです。
あなたは他人に良く見られるために生きているのですか?
自分を大切にしないと他人もあなたのことを大切に扱ってくれません。
他人に嫌われないために自分を貶めるのかもしれませんが、
その行為は何のプラスにもなりません。
自分を貶めても嫌われるときは嫌われます。
仮に嫌われなかったとしても、
大切な存在として扱ってもらうことはできないでしょう。
常識とはただの多数派が信じている思い込みです。
「謙虚こそ美徳」なんてそんなルールはこの世の中にはないのです。
自分のことを大切にしたいのであれば、自己否定をするような謙虚はさけるべきです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。